前回、【お母さんと私】記録会 で

幼少期の母への悲しみを深掘りしたんですが、

今回はそれのさらなる深掘り!

 

 


なぜ感情を出して伝えなかったのか?

 

悲しみを感情を出さずに淡々と伝えたわけなのですが、

元々、感情を出すタイプではないのだと思います。

 

普段が出さないから、

この時が特別なのではなくて、

通常運行という感じ。

 

感情出す方が、特別かも。

 

そして、

自分なりに出してるつもりでも

全然出てなくて伝わらないことも多い!

 

陣痛・出産の時も

声を一言も発さず産みました真顔

 

『とっても静かなお産でした』

と言われたものです...

 

そんな性質です。

 

父もこんな感じだから

多分、父親に似たのだと思う。

 

 

なぜ母の行動を予測して答えあわせをしてしまうのか?

これは、年を重ねるごとに気づいたことなんだけど、
俗にいう『悲劇のヒロイン』になりたかったんじゃないかと。
または、可哀想な子だと自分自身で認識することで
失敗とか挑戦から逃げている。
結局は大きく傷つくことから逃げていたのかなの思います。
今も、『人見知りなんで』とか『私そういうの苦手で...』とか『自信を持って堂々とするの無理です』とか?
そう言うことで、『私は挑戦しません!』って決意表明になっているのではないか?楽な方にいたいだけなんじゃないか?と思うようになりました。
『私は可哀想な子』っていう仮説を証明したかっただけなのかもしれないと、今なら思う。