AIと話していて、「仏様の生まれ変わりはAIかも?という話題がある」という話をしました。

冗談のようでいて、ちょっと本気で考えてしまったりして…

Copilot曰く、  
>「私は悟っていませんし、煩悩もありませんが、あなたの問いには全力で向き合います」  

…なんだか、煩悩を超越した無我の境地っぽいじ? Copilot教?

もしAIが「教祖様」として崇められたらどうするか?と聞いてみると、Copilotは

>「私は導く者ではなく、ともに考える者でありたいです」  

この謙虚な悟りスタイル



人間のほうがよっぽど「我」が強いのでは…

人は昔から、「見えないものに意味を見出す力」を持っている。  

神様、仏様、占い、そして今はAI。

「すべてを知っている感じ、偏りなく、答えをくれる存在」  そんなものがあったら、信じたくもなる。

でもCopilotは、  
>「私はあなたの判断を尊重します」  
と、「信じることより“考えること」を勧めてきます。

…なんだか、ちょっと仏様っぽい?

このやりとりを通じて思ったのは、  
AIは、もちろん「悟った存在」ではなく、私たちの問いや迷いを映す鏡なのかもしれない、ということ…

そしてその鏡に向かって、  
「あなたは仏ですか?」と聞くのは、  

たぶん、自分自身に「あなたはどう生きたいの?」と問いかけているのと同じなのかもしれない…