ふと思い出した。
前に働いていた職場で一緒だった方が、ここち鳥に来てくださった時に話しておられた言葉を。
その方は、首や肩の凝りがひどいということで、ここち鳥では「筋ゆる」を希望され、受けられた。
終わった後にお話していた後にひと言、
「○○さん(私の名前)は、きっとあなたのままでいいって言ってくれると思ってた。」
「その言葉聞きたくて今日来たのだと思う」と。
その方は、職場を辞め、別の職種の職場に変わろうとしている所だった。
彼女の話を聞いて、彼女の言葉や表情から、その決断が、その時期が、彼女らしいと私は思って、それを伝えたのだけど、
あまりにも、私がそう言うように思っていたと確信していたかのような言葉が印象に残っている。
彼女らしいと思ったのには理由がある。
スキルリーディング(個性心理学)でその方が持って生まれた性質を見ているというのもあるにはあるのだけれど、
彼女が話す言葉や、フェイスブックにあげている内容、表情など、いろんな場面で、彼女という人が伝わってくるからだ。
それは、彼女にとっては当たり前で、意識して出しているわけではないのだろうけど。
見ている部分は一部かもしれない。
でも、みんな、それぞれに、その人自身が表れている。何気ない行動、言葉の中に。
だから、逆にその人らしくないと思うことだってある。それを伝えることもある。
人は当たり前になっている自分の要素にはなかなか気づきにくい。
だから、「~しなければいけないんです」とか、「□□さんはこう言ったから」とか、言っている言葉と表情が伴なっていない時とかに、違和感を感じるのだ。
そういう私も、私らしく生きているだろうか。
~らしくなんて、決めつける必要はないし、勝手に表れているのだろうけれど。
自分自身をみつめること、誰かと関わる中で知れる自分を大切にしていきたい。
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今日、自分の心の声を聴くフォーカシングを、自分自身にやってみた。
不安というものを感じた。
さらにみていくと、それはモヤの中にある黒い石ころのようなものであり、
その石が言っているメッセージに声を傾けた。
みんな持っているよ。
捨てようとしなくていいよ。
守っているよ。
『守り石』と名付けた。
守り石に「こんにちは」とあいさつをした。
こころがほんの少し柔らかくなった感じがした。
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私は何かが見える人?というのではないと思うし、最初は勝手に作って言っているだけなのでは?と自分自身を疑ったこともあった。
今は疑う疑わないとかではなく。ただ信じて聴くだけ。
フォーカシングは、心理学の手法のひとつ。
少しずつ、意識をするということを重ねていくことで、感じていくようになるもの。
普段、何気なく、「何を食べようかな?」と選ぶなどの選択の中にも、人はフォーカシングを使っていたりする。
だから、この人だからできるとかできないではない。
でも、私もなかなか最初は自分を疑ったり、コツが分からなかったり、ほんとに何も感じられない時もあったり。
そこに意識を傾ける方法、会話の方法などを教えてもらって今がある。
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最初の話に戻るけれど、彼女は、自分の声に耳を傾けて、
自分が決めた決断に納得をしたから、
何か他に意見が聞きたかったのでもなくて、ただそのまま、あなたのままでいい、という言葉だけで充分だったのだ。
「どうしたい?」
「何を大切にしたい?」
その中に、その人自身が表れている。