お別れ(死別)後…周りも自分も『どうなっちゃうんだろう?』 | cocochi 心美人 心地いい自分は周りの人を幸せにします。

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お別れ(死別)後… の私の話し

亡くなった主人は地元の同級生

主人は地元では有名ないい人だったので

葬儀の参列者は300人越えでした。

それだけに…

周りからも

自分も『どうなっちゃうんだろう?』と…

 

今、思うと

周りの方は48歳という若さで亡くなった彼が可哀想

もう、会えない哀しみ

 

私は…彼に感謝の気持ちと、寂しさと心細さ

 

結構、違いがありました。

 

人生を共に…2人で一人前だった

周りからもボケ、ツッコミ?が絶妙

お前ら『新婚さんいらっしゃい』に出れるよと

言われるくらい、全てに於いて凸凹がハマっていたので

彼の他界は半身もぎ取られた自分だけが残って…

 

人生共に(一緒に笑う相手)…

ボケツッコミの相棒が居なくなった

 

一人前が(補あえる相手)…

半人前で心細さしかなくなった

 

今、思い返しても…

『どうなっちゃうんだろう?』って思う

状況に居たと思います。

 

心から笑える日は、もう一生ないと思いました。

 

そんな中

救われた事は、自分の友人や職場の同僚や知人に

主人の思い出話しを聞いて貰えた事です。

 

ただ、問題が有りました。

私は半人前な状態で彼の代わりをしようとした事です。

彼は5人家族でしたが何の因果か全員他界されて居り

 

葬儀も300人全員に返礼品手配、お礼状…

親戚付き合いは、心細くとも1人で対応しなければ

ならなくて、田舎の本家からは、お母さんの代わりに

葬儀に顔を出しなさいと知らない方の葬儀にも参列、

4時間掛けて田舎に出向いたり、叔父さん達の兄弟会に

呼ばれたり、お兄さんの大学時代の友人が東京に観光で

いらっしゃるという事で、観光案内に家にまで泊めてあげたり、その他、49日、納骨、お盆、1周忌、3回忌、7回忌、

一人で準備、セッティング、去年無事に終えて、やっと、

今は肩の荷が降りたところで、自分で自分を褒め称えちゃいます。(笑)

 

しかし、この彼の代わり…は

『地元の同級生』では問題が起こってしまいました。

とっても、残念な悲しい思いを5年は…しました。🥲

 

同級生なので主人と私の共通の友達で

生前家族ぐるみで良く、飲み会をしたり、

旅行にも行ったりした仲間なのですが

私が、

彼の友達と、自分の友達の区別が付いていなかった事が

5年も苦しむ事になったんです。

 

この、仲間達から鋭い目で睨まれる様になったんです。

面と向かって言われた事はないのですが

『お前は不義理だ』『お前は哀しんでない』という

攻撃的な目でした。

私だけではなく、私と一緒に居る友人にまで無視…

コレは辛かったです。私と居ると睨まれる…なんて事

本当に辛かったですね〜

去年はコロナ禍で葬儀も無かったので、同級生とも

顔を合わさず済みましたが…

 

原因は

私が周りに心配かけまいと

元気に振る舞った事が、エステサロンも開業しましたし😅

『哀しんでない』と映ったということです。

 

2年前、右手を骨折した時にやっと、気付けたのです。

 

この仲間達は私の同級生でもあるけど彼の友達…

なので、私の心情を話す機会は彼が亡くなった後

一回も有りませんでした。

 

自分の友達には心情を聞いて貰って

私が必死に立て直そうと頑張ってるのも分かってくれて

寂しくない様に遊びのお誘いも沢山してくれ

見守ってくれ、本当に感謝しか有りません。

 

どうして骨折して気付いたかと言うと

電車で立っているとギブスをしている私を見て

私より年配の方が、席を譲ってくださろうと、

親切に声を掛けて頂いて、世の中、いい人が

たくさんいるなぁと改めて感謝させられる場面が

ありました。しかし、ギブスを外すと

はた目では骨折している事に気付いて貰えませんでした。

 

と言う事は

彼の友達は、私の楽しそうな姿を見たまんまを

受け取って、お怒りになっていたと分かりました。

 

コレも勉強になりました。

 

 

『課題の分離』

私は私が正しいと思った行動をした

誤解させてしまった行動は反省

 

怒っている彼らの気持ちは

彼らの問題。

 

なので

私は彼らに弁明するつもりは有りません。

 

大切な人を亡くした人にしか

分からない…心情

皆さんも聴いてあげて下さい🙏

 

また、大切な方を亡くされた方へ

思い出話しの代わりに

3年目(私の場合)からは人との会話の中で

場面場面で思い出して、会話の中に登場させて

話すので、共に生きてる感が有ります。

 

寂しい気持ちは今でも有りますが

そんな時は

仏壇にに向かって『なんで、置いてちゃったのかね!』と

彼に文句も言ってます。

彼の遺影は毎日、表情が違って見えてましたが

今は、いつも微笑んで見えます。😊

 

いつか…こう言う日が来ます。

 

私の体験が少しでもお役に立てたら…

心に空いた穴が少しでも小さくなるよう

心よりお祈りして居ります。

 

最後までお読みいただいて

ありがとうございました🙏😊