父は大正生まれです。
今のところ特にどこか悪いというのはないですが、年々体力もなくなり、気力もなくなりつつある
気がします。
杖ついて歩いてるとこなんて見ると、ホント年とったなあと思います。
お昼の一缶のビールと夕方日本酒の晩酌が楽しみで、飲んできげんがいいと
昔々の話が出ます。
昨夕もそんな話が出たのでちょっと紹介^^
戦争中、父は飛行機乗りでした。若い人たちに操縦を教える教官だったらしいです。
東北や九州で教えていたようですが、だんだん戦況が悪化したため、満洲へ異動命令が出・・・。
2人乗りの飛行機に若い人3人乗せて父が操縦し、向かう途中、
東京空爆のために飛来してくる米軍機と遭遇しそうになり、
雲の下に逃げて危うく難を逃れた話や
ようやく大陸上空に達したものの燃料不足で途中でおりたけど、当然ガソリン補給なんて
できず、ぎりぎりの燃料で再び飛び立ち、なんとか目的地へ到着できた話。
到着はしたものの、間もなくソ連軍が侵攻してきて
50人の兵隊を連れて着の身着のまま内地へ帰ることになったこと。
(ちょっとエライ人だったそうです)
当然飛行機は使えませんから、避難民や日本へ帰る兵隊で満杯の汽車に乗ったこと。
でも途中止まったり動いたり、運転士が向こうの人でいつのまにかどこかへ逃げちゃっていた・・
とか。
何日も食うや食わずでようやく朝鮮にたどりつき、日本へ向かう船を見つけて乗ったこと。
ぎゅーぎゅー詰めで寝るところもなかったそうです。
荒縄にしばった赤ん坊の死体をぶら下げた母親の姿は忘れられないと言っていました。
博多に到着したものの焼け野原。それからまた屋根もない貨車に乗り、
東京の実家にたどりついたけれど、
そこも焼け野原で家はなく、○○に疎開しているという立て札を頼りにまた北へ向かい、
ようやく家族に会えた話・・・。
ドラマや映画でしか知らない当時の大変な状況を生き抜いてきた父の話は
真に迫って心に響きました。
そうやって苦労して生きてくれたおかげで今の私があるのです・・・。
こういう話、もっともっと聞いておきたいと思います。