bunbunがこの仕事をするようになって、かれこれ30年・・・ (*_*)
学生時代、アルバイトを兼ねて始めたのがそもそものきっかけというか、
入学したときに、速記研究部というどう考えても暗そうな部から勧誘を受けて、
純情な女子学生だった(!?ホンマやで)bunbunは断り切れずに入部してしまったのが始まり。
30年たってまだやっている、というより生きていく糧にしていようとは、あの当時は
思いもよりませんでした。やっててよかったって、ホントに思ってるけどさ。
初めは速記者でした・・・まあ、今でも履歴書に書くときは速記者なんだけど、関西を
離れて九州に暮らすようになってからは、もっぱらテープ起こしをやっている。
便利な世の中だから、宅急便で会議なり、講演なりを録音したカセットテープと、あれば
資料一式を送ってもらい、それをパソコンで文章に起こし、急ぐと言われればメール送信し、
そんなに急ぐんじゃなければ、フロッピーに入れて、また宅急便で送り返す。
この仕事を始めたころはやるヒトも少なく、かなりの高収入だった(微笑)。
当時は、速記者が現場に入り、録音しながら速記して、それを持って帰って文章に起こして
提出していた。bunbunも随分いろんなところに行ったし、いろんな人に会った。
有名人では、堺屋太一さんとか、文化人類学者の梅棹忠夫先生とか、佐々木高明先生とか
(知らないかな?)大阪万博跡にできた民族学博物館にはわりとしょっちゅう出入りしてたし、
大阪市議会では本会議場の速記者席に座ったこともあったし、名古屋で行われたイスラム学の
研究会みたいなのに行って、速記しようとしたら、イスラム語(っていうのか?)でしゃべり始めた
人がいてあせったこともあったっけ。
本になったこともある。もちろん速記者はいわゆる黒子なので、名前が出ることはないけど、
出版されると本屋で探して、この部分は私が起こした文章だ!!っていうところが見つかると
ホントにうれしかったなあ。作者さんが後書きで、「●●速記事務所にお世話になりました」
なんて一言書いてくださっていることもあって、そんなときは一遍でファンになっちゃったりもした。
地味なんだけど、今思い出すと結構ハデ?な仕事で、楽しかったな。
世の中がバブルのころは、あっちこっちのいわゆるコンサルタント会社みたいなところが
毎週のように講演会を開いて、テーマパークだの、なんたらリゾート建設予定だの、景気のいい
話をぶち上げていて、そんなのにも行かされて講演録をつくったりしたけども、あのころ
話に出てきていた構想は、結局構想倒れに終わったり、完成してもあっという間に
つぶれたりしちゃった。(例えば伊勢志摩のスペイン村なんて話はそのとき聞いたような覚えが・・?)
速記者じゃない人がテープ起こしに参入してきて、この業界がちょっとずつ変わってしまったのは
ここ10年ぐらいのことなんじゃないかと思うんだけど、この続きはまたそのうち・・・。
さて、仕事に戻ります。
17日のル○の「おもてなしツアー」、結局bunbunもお休みとりました (^ ^;)
休みとって行く人がいるんだってよ~~なんて話題になってたけど、bunbunも閉め切り1日
ずらしてもらいました(笑)
せっかく行くなら、仕事のこと忘れてのんびり楽しみたいもんね!