今日は祝日、ということで
朝はちょっとのんびり。

午後からは、再上映になっているのを
知った映画『福田村事件』を観に。

言葉にできないけどいろんな気持ちが
渦巻いている。

先日観た映画『正欲』もだったけど。

自分には本当にわからない。わかり得ない。
でもそこにある、人の気持ち、感情、思いとか。
(わからない、ことにしている蓋をしているものもあるかも?)

夕べの報道番組のトーヨコのオーバードーズの
ニュースを見ながら息子と話したこととも
つながるような気がする。

どうしたって自分には理解できないことがある。

その理解できないことに対しての反応も
人によって違うけど。

私は、どんなところがどういう風に違うのか。
それをせざるを得ない背景はなんなんだろう?
と思う反応。

息子は、理解できない。
それを非難、批判はしないけど、
そこまで理解しようとは思えない、
という反応。

そして、世の中には、自分とは違うもの、
理解できないものを不安に思って
非難、批判、攻撃するという人たちがいる。

特に集団の群集心理が働くと
数の力で物事が動いてしまうこともある。

傍観者でいたくはない、と思うけど
実際にその場になったらどうなるか。

いや、実際に、傍観者であったこともあるし
向き合わず逃げたり避けたりしたこともあるし
なんなら加担したこともあると思う。
集団から外れることが怖いと思っていた頃は。

だからこそ、あんな思いはもうしたくない、
という気持ちがあって、理解できないものを
理解しようという気持ちは諦めたくないと思う。

本当に理解なんてできないけど。
少しでも近いところにいけたなら。
対立ではなく折り合いをつけて共生
できる道はないのかを考えたいと思う。

それは、自分の中に、非難、批判、対立に
向かってしまう部分があることを
自覚しているから。

だから映画等で自分の知らないこと、
わからないことを知ることができることが
必要だと感じる。

そこで自分の心にどんな反応が起きるのかを
知ることが、体験することができるから。

そして『正義』や『正しさ』で話すと
理解や平和にはつながらないんだなと
いうことも実感。

だからこそ、対話的でいたいと改めて思う。

にしても、重い。。
祝日のお楽しみ、というわけにはいかない
ものだったけど。

短期間の上映なのでタイミングが
ここしかなかったしね。

モヤモヤ残るものはそこに置いて
ちょっと時間を置いてみよう。
熟成?されて何か出てくるかな。

映画の後に、ちょっとプラプラしようかな
と思ったけど、そんな気持ちにもなれず直帰。

でも、間に合って観れてよかった。

では、また。