セッションレポート No.3
“壁”は無い!私は1950年代の前半に米空軍の戦略司令部幹部候補生の研修で東京を訪れていた。
まだ“日本語を話せる”軍人が少ない頃だったのである方からの紹介を受けて
映画「羅生門」の特別試写会を見てそこでインタビューを受けた。
三船敏郎の“叫ぶ”ような台詞回しが多く、当時の映画館の音響も悪く、聞き辛い感はあったが、「外国の映画際に出せば、きっと“賞”の対象になる。」と私は強く言った。
しかし、その場にいた”日本の大人“からは笑われた。
結果として“ヴェネチア映画祭”で賞を得た“羅生門”は日本映画の“黄金時代”を世界に告げた。
何年かして、私はパリのシャンゼリゼ通りにある映画館では“字幕無し”“吹き替え”無しに映画を放映する“ところ”だった。パリの人々が楽しんでいる様子を見て一緒にいた日本人の新聞記者は驚きを隠せなかった。
物や人の可能性を見出すだけのことだが………..
其処に優れたものが有る。
皆にある。
ある医学博士との出逢い恵比寿にイ先生の治療院があった。
医学博士だが“人”には“触らないで“治す”不思議な先生だった。
診療所内にはカーテンで仕切られたベットが12台位有って皆ベッドに寝ている。
その枕元に数回先生が廻って来ては手の指を独特な感じで速く動かしながら、口を“珍しい味”を試しているかのように独特な“音”を立てながら“宇宙”や見えない力を利用して治療をする。難病に掛かった医者も大勢治していた。
何でも先生が仰るには、「風邪も癌も“治す”方法は同じだ。と余計な“ものを取る”
だけだ。」と…….
その診療所では初めて訪れた人の“写真”を撮る。
その時“撮った写真”はまるで“カルテ”のように保存されていて、その後、具合が悪くて電話をすると、その“写真”を見るだけで、“現在”の身体の様子が瞬時に先生に解るのだ。
その診療所では日本だけではなく世界中から要請があって“遠隔治療“が普通に行われていた。
イ先生曰く、“距離”は全く“関係ない”そうだ。
CoCoが初めてイ先生を訪れた時に“ダイヤモンドダスト”のようなものが診療所の天井から降ってきて何故かCoCoは理由も無しに号泣してしまったそうだ。
号泣するCoCoを見てイ先生は
「解っているよ、“懐かしい”ので嬉しくて“涙”が出ているんだ」と云ったと言う。
その後、私が初めてCoCoと一緒にその先生を訪れた際、
ベッドに寝ているCoCoの処に来て
イ先生が「ご主人はキリストかモハメッドのような“外国の神様”の“出”かと思っていたら“親”となる神様は“日本の神様”で“菩薩観音”なんだね。」と興奮気味に話して
今度は隣のベットにいる私に
イ先生:「今、日本を“出よう”としているようだが、“出たら”ダメですよ。そうしたら又、“親の神様”に日本に引き戻されて、そこから“やり直さなきゃならなく”成る。
あなたには大事な“役割”があるのだから踏ん張るしかない!」
とまるで私の事情をはっきりと“見えている”かのように把握していた。
そんな出会いからイ先生には大分お世話に成った。
ある時イ先生が“本”を出版される事となり、ほんの少しだけCoCoが“音”についての項目をお手伝いした。イ先生は律儀にその“本”が出来ると“謹呈”と自筆で書き入れお名前を入れて贈ってくれた。
其の出版された“本”を英訳しませんか?と私が勧めると、先生は“神様に聞いて来て”
「神様が“アラジンさん”が“良い」と言ってる。と報告してくれた。
自分の“仕事”はアラジンさんを“元気”にする事。そして私が人と人の繋がり、自然の流れの繋がり、そして國と國の繋がりを強化出来る“能力”の持ち主だと主張する。
ある時、イ先生が「兼ね備えている」と仰るので私がちょとお道化て親指と人差し指を丸めて「“金”備えてますか?」と云うと「そうじゃない」と硬い顔をした。そう云う場面が度重なると“親父ギャグ”で片付けられた。
時折、イ先生は“天の川”のど真ん中から地球にいらした事や天体との関係を説かれることもあった。CoCoは依然から“ヒーリング”に当たるようになる。と云われていた。
私達のセッションではイ先生の2冊の“本”を胸に抱えてるヒーリングもご希望の方にしており、皆様からの感想として:
○気持ちが安らぐ
○丹田が温かくなった
○身体が浄化されるのを感じる等
のご意見が寄せられております。
次回は ” Wing Maker“ (ウィング メーカーのHuman Mind System
(ヒューマン マインド システム)とイスラム圏の三日月についてふれたい。