日本より愛を込めて        No. 6   


スフィンクスに始まる…….



軍事用のカイロ西の飛行場から離陸して間もなくスフィンクス上空のところで訓練中の戦闘機のラジオに“ザキ大佐”の声が流れた。

ザキ大佐 :「カイロ東に着陸せよ。 繰り返す、“親戚ご来場”……」
私     「了解」
スフィンクスとピラミッドを右に見て直ぐに左方に機体を傾けて転換した。
ザキ大佐の“親戚”とは“日本からの要人“を指している。


当時、軍の中のみならず、日本語ができる者は私しか居なったので、柔道、空手の指導は元より、外交等の場でも欠かせない存在だった。
ザキ大佐とは軍事訓練の他、スポーツや武術関係等に於いても付き合いが有った。


私が基地に着陸すると、そこには軍のジープが迎えに来ていた。私は“フライング スーツ”
のままジープに身を収めると離陸する戦闘機を指差して
ザキ大佐「あれはナーセル大統領の弟だ」と云った。

その時の“ナーセル大統領の弟とは数十年後に東京で”逢う“ことに成った。



ナーセル大統領に挨拶する日本アラブ協会の中谷武世会長



会談の部屋に入るとその当時の中谷会長の部下だった中曽根康弘氏もそこに同席して居た。

中谷会長とは米空軍戦略司令部の研修で東京に行った時に“講道館”の石黒八段(ラジオ放送活動で有名だった)からの紹介で面識があった。

私が「エジプトにようこそ!」と一礼すると、中谷会長がちょっと驚かれていたのでキャップを取って見せると、私のショートカットの頭を認めて、

中谷会長 :「あぁ、あの時の柔道の…..」と直ぐに思い出されたようで笑顔を見せた


ナーセル大統領が登場して大統領府内ではめったに見られない戦闘服姿を見て
「この人は何処で戦争しているのだ。」と聞き、ザキ大佐の答えを聞くや否や大統領は
「こういう“人”を“大事”にするように」とニコッとしながら会談室に向かった。




スフィンクスにミサイルが当たる時………
2014年後半に私と逢った事がないDragon Force Siteによると
スフィンクスの手の間から日本でしか解明出来ない虹色のディスクを私が持ち帰って
世界を救う。とそれが“天命”である。と発表している

スフィンクスとの話は“偶然”か“運命的”か一連のことを振り返ってみたい。