日本より愛を込めて         No. 5

         心に響く小林洋一さんの夕べに想う



2015年3月31日に小林洋一さんの繊細な“波動”と“哲学”がその声と曲に乗って
ホールにいる全員の“心”に響き渡った。

「世界人類が平和でありますように」の曲を贈ります。
  五井昌久作詞 小林洋一作詞 小林洋一作曲




我々が行った彼のワンマンライヴでの迫力は“満点”!
そしてその会場には小柄で作詞者でもある故五井昌久先生もあの世から微笑みながらお目見えに成ったとCoCoが言う、歌い手の小林洋一さんは余程、高いものをお持ちだと見られる。


ともあれ、私に取っては“ものの”“響き”は多面にある。

私は幹部候補生の頃(1953年に英王立士官学校 Sandhurst)、極東戦略の実施に東京の研修に参加した。
「諸君達は優秀な軍人である事は元より“特殊部隊のリーダーとして”紛争を阻止“するのが仕事だ。」と当時、極東の戦史に名高い空軍戦略司令部のCurtis Le May (カーティス・リメイ)将軍から直接教訓を受けた。



そして、その3年後、エジプトのナーセル大統領がスエズ運河を國有化した。
頭に来た英国のイーデン首相が「懲らしめてやる!」と云ってナイル川の“流れ”を変えて
エジプトを枯渇させようと企てた。しかし、その“ナイル川”の上流にはアラビア語を母国語の一つとする“特殊部隊の将校”がいた。分かった事は、“ナイル川”の流れを変えたとしても、
その“影響”が出るには“半年後”になるので“効果”がない。
そこで、東系(ソ連)の戦略、核兵器の介入に成ればロク“な事はない。
直ぐにCurtis (カーティス)将軍にその旨を連絡した。すると、この話を聞いたアイゼンハワー大統領が英国の“ポンド”(通貨)を“攻撃”する姿勢を取ることを通告し、“ストップ”が掛かった。

Capt. Rafik A.Nasser
ナーセル大統領の実弟でエジプト海軍を経て著名な海運会社“Rafimar” を経営、フリーゾーン等の大型開発プロジェクトを手掛ける実業者。私は日本代表を勤めて来た。


一昔前「戦争を知らない子供達」と云う言葉が流行ったが、私には「平和をしらない大人達」
に聞こえた。


日本は世界の“雛形”として活かされるならば「世界人類が平和でありますように」
と歌っている小林洋一さんの“天命が全うできますように”思いつつ……..

取り合えず、負けては居られない。裕次郎に因んで
叫ぶ、「洋一(さん)よ、今夜も有難う♪…..」