ふたご座流星群のニュースを観て、子どもに見せたいなぁと思いつつも、さすがにまだ早いなと諦めました(翌日幼稚園だから夜遅くまで起こせない、という意味で。)
なぜか今TVerで観られるドラマに「しし座流星群」が出てくるものが多いのですが、その言葉が呼び起こしてくれるある思い出から、子どもの頃の「生きた」経験って宝物なんだなぁと、つくづく思います。
小学校高学年で、もう都会のど真ん中に住んでいる自覚もあった頃、母親を説得してお友達の家の屋上で観るという約束を取り付けました。
もちろん、親も同伴です。
当時はそう簡単に寝袋やテントも手に入るような環境になく、とにかく厚着をして集まる!という雑な会でしたが、真夜中に集合し、明け方まで友達と空を見上げるという経験、そして、生まれて初めて観る星空のお祭りに、とにかく感激して幸せすぎて、一生忘れられないと思ったものです。
そろそろ終わりにして帰ろうと思った明け方、爆発するような大きな流星を、その場にいる皆が1人も欠けずに観られたことも、その思い出を強く残してくれました。
都会のど真ん中と言われるような地元でしたが、その頃は、裏山のような環境や大きな公園や森(?)があったので、実は自然が豊富で、カブトムシ取りやホタル鑑賞、ザリガニ釣りや秘密基地づくりが出来たことは、今でも誇りに思っています。
子ども心に、こんな場所でしし座流星群を観た、という経験は後世に語り継げる良い思い出だろうと思ったものですが、やはり、今でもそう思えます。
子どもというのをバカにしてはいけないですね。
大人が思うよりもずっとずっとずーーーっと、世の中のことをよく分かっていますし、「やりたい!」と自ら言ったことには責任を持てるものです。
確か、翌日は平日で、眠かったけれどちゃんと学校に行きました。
その時すでに、中受の勉強で、冬の大三角形や周辺星座、一等星も暗記していたので、今のようにアプリなんかなかったけれど、ちゃんと見つけることができました。
いえ、もし見つけられていなかったとしても、自ら見つけようとして、それらしき星や星座を「見つけたこと」そのものが、完璧な経験でした。
中受は本当に楽しかったです。
もう少しだけ親の導きが上手だったなら、私はもう少し楽な人生を歩んでいただろうと思います。
だから、その反省を息子に活かして中受させるというのも一考。
でも、単願で御三家に落ちた後、自他共に認める「優等生」を3年間続けて内申を稼ぐという根気と努力も、今の私を築いてくれ、出身高校には誇りを持って生きていますし、何がどう自分を築いてくれるかは本当に分かりませんね。
今、さまざまな結果に直面し、思ったようなシナリオを歩めていないなと感じる方がいらしたとしても、そこに至るプロセスは決して無駄ではないと思いますし、何より、家族で得た様々な実体験は、幼児期・学童期の子どもにとって、親が思う以上に宝物になります。
親が意図的に連れて行った場所、というのは総じて覚えていませんが(笑)、子どもの「行きたい!」「やってみたい!」は、とことん付き合うのが「教育」なのだろうと実体験から感じています。
値上げやら増税やら不穏な空気はありますが、やはり昭和に比べれば「豊かな時代」であることは間違いありません。
「今」という時間の中で、いかに「豊か」に生きるか、というのは、お金のあるなしに関わらず、親の意識一つで大きく変えられるのが情報化社会の面白さであり、「いかに子どもに子どもらしい時間を与えてあげられるか」、「知的好奇心に寄り添って生きていけるか」に、私の推し活の全てを賭けていきたいなと、ふと思った夕暮れ時でした。