息子の保活やら胃腸炎やら風邪やら、身動き取れないことばかりで、すっかりブログからも遠のいてしまいました。
ちょっと今日もどんよりモードです、題名の通り、毒吐くので、嫌な気分にさせてしまったらごめんなさい。。
今年は身近な人が沢山お受験するので、我が家の過去の振り返りも兼ね、様々な媒体でお受験調査の旅に出ておりましたが、なんか…思った以上に沼ですね。
「おじゅ」とか「おわ」とか、Twitterだから略す必要があるのかもしれないですけど、何となくそういう言葉を流れに身を任せて使いたくなる人と伝統校って相容れない感じがするなぁ…と感じていたら、やはりことごとくご縁がなさそうな結果で。
なんだろ。。
自分もブログなんか書いてはいるけど、親が自分の受験についてTwitterにグチったりあれこれ流したらしてたら嫌だなぁ、、Twitterのネタ作りに「今日も10枚、いや、30枚頑張りなさい!」とか言われてたら辛いなぁと、そんなのは私の全く想像の世界でしかないけれど、勝手に妄想して無駄に闇を感じて辛くなっていました。
親が勝手に決めたお受験、子どもは親の顔だけ見て必死で頑張ってる(いや、頑張らされている)のに、親は情報収集との大義名分で日夜誰かと群れてるだなんて…なんだか切なくて。
幼受と小受ではレベルが違うのかもしれないけど、今は令和の時代で、インターやら海外留学やらが主流になりつつある世の中で、お受験で得られるものなんて、こんなちっぽけな島国のちょっとした小山の上くらいなもので。
誰かと競い合ったり、子どもに無理強いさせたりしてまで得るものでは全くないと思うのです。
向いていれば楽しんでやるだろうし、合う学校に自然と縁があるはずです。
向いていなければ違う方向でも良いわけなのに、親が無駄に課金して後に引けなくなって、見栄もプライドも膨らんで…みたいな長い長い戦いを見ているとしんどくて。。
エルパトとお受験の過熱ぶりが似ているなぁと感じます。
HERMESだって、お受験だって、相応しい方が、適切な手順で手に入れるものだったはずなのに、下克上のツールのようになってしまっている。
もちろん、そんなことは今に始まった事ではないでしょうけれど、SNSによって知ってしまうから、求めずにはいられなくなるし、手に入れたら自慢したくなるし、その人口も増えていきます。
でも、子どもなんですよ、お受験の主役は。
人格を持つ1人の人であって、親のツールじゃない。
相対するようにある、「おうち英語」やインター系のTweetも見かけましたが、何で競うの。。?
うちはお受験するお金ないから英語に振り切ってます!おうちで工夫するし!全然羨ましくなんか、ないんだからねっっ!!
みたいな、ツンデレ系??の心の叫びがチラ見えしたり。
別にそんなの競ってないし、お受験する人だってお金に物言わせている人ばかりではないし、知育に興味がある親なら英語だって当然やってるし…何に勝ちたいの?
「私」が主語なら全く気にならないけど、「子」が主語であるべき教育に関して、親が息巻いて「これやらせてる!」ってマウント取るのを見るの、本当に辛くて。
何が辛いかというと、「DWEにお金かけてるアタシ」だし、「おうち英語熱心なワタクシ」だし、「ペーパーの束を完走させたアテクシ」だし!
ねぇ、見て!!!!!褒めて!!!!
が透けて見えて、そんな視野の狭い承認欲求の塊のような親に育てられている子どもが量産される日本…大丈夫そ?
という、未来に夢が見えない感じが無性に辛いわけです。
子どもが伸びたい方向に伸ばしてあげる、それをそっと見守り支えるのが大人の務めって、結構いろんな学校の校訓にもあると思うのだけれど、自らレールに乗せたい方々は、それをどう解釈して「お試験」に臨むのかしら。
今勤めている会社は、日本の「デキる」「イケてる」を大集合させたようなコミュニティで、おそらく日本中の名門校のカタログのようなところだけど、子どもの頃の話を聞くとみんなのびのび育ってここに来ていて。詰め込み・必死、みたいなキーワードとは無縁なのよね。
外から見て「良いなぁ」と思って、無理して入ったら、得られるものより失うものの方が多いと思う。天は二物も三物も平気で与えるのだから、まともに張り合おうとしたらしんどいと思う。
そういう「すごい人」に出会う機会がないまま大人になった人が、子に夢を託してしまうのかなぁ?
私は間近で見ていて、子どもを彼らのように育ててやる!!とは逆立ちしても思えなくて。
彼らのようなスーパーマンは、「なるべくしてなる」、そういう特別な人種だと思う。
そもそも、子の可能性とか適性とかって、親の力が及ぶような小さな世界ではないと思うのです。
皆さん、もっと方の力を抜いて。。
自分と子どもの人生に、もっと自信と誇りを持って。。
蛙の子は蛙。それは悪い言葉ではなくて、今私たちが幸せなら、その域にはきっと到達できるって意味だと思うのです。
子ども時代は2度と帰ってこないのだから、子どもらしさを十分に育むことをどうかどうか忘れないで下さい。。
一体、誰に何のお願いをしているか分からないけれど、かつて子どもだった私から、子ども達の代わりに叫んでみました。
と、毒ばかり吐いてあまりにも中身がないので、知る人ぞ知る名著をご紹介。
温故知新。
今と異なる内容と全く変わらない内容とがありますが、自分たちが育てられた時代の常識を知っておくと、親との意思疎通が楽になりますし、イマドキ育児の細かい決まりから開放されておおらかな気持ちになれます。
何より、丁寧な書物とはこういうものか、立派な先生とはこういう方か、と感激します。
私はこの3冊セットではなく、当時の1冊版のものを上の子の時代から大切に読んで、軸足を整えるようにしています。