感情的に書いてしまったのですが、少し心が落ち着いたので、タイトルと本文の一部を変更させていただきました。



娘も息子も、ギリギリまで育休をとって、なんとか2歳近くまで自分で育てたけど、それでもまだ人に預けるのは寂しかった。


でも、そんな人は少数派。周りは、「さすがにそろそろ預け先決まったよね?」と。幼稚園ママでも、上の子の送迎のために下の子は預けてくるほど。

私はママ友とのおしゃべりより、この子と過ごすかけがえのない時間が嬉しいのよ。



こんな可愛い時期を、どうして人に譲らなきゃいけないの?

会社の仕事なんて誰にだってできる。

でも、この子を育てるのは私にしかできない。そんな気持ちを押し殺して、「早期復帰」する人が評価されるこんな社会、間違ってる。



「待機児童ゼロ」


預けたい人、預けなければならない人が、その機会を逸しないという意味で、大切なインフラ。

娘の保育園は、安心安全が担保され、家でできない沢山の経験をさせて頂き、感謝しかない!!もちろん先生方も大好き。進級の度にお手紙を送り、涙し合い…と、思い出は尽きません。



だけど、インフラの次に大切なのは、「子育てを優先する」というオプションを社会全体が許す世の中ではないか。

保育施設はあくまで保育の場であって、教育の場ではないわけで、養育者を肩代わりして頂くことに、養育者の意思を反映できる世の中、たった数年のゆとりを許せる社会を、親や大人の都合ではなく子どもの目線を、どうかお願いします。



我が子にとって、預けてもよい時期なのか、合う施設なのか、その見極めを十分にできる自由を下さい。

子供の受け皿があるからといって、荷物のように預けられるわけじゃない。相手は人なの。

それどころか、私の全人生を賭けた推しなのよ!!



松居和さんの「ママがいい」という著書、試し読みをしたら、涙が止まらなくて、今の自分のメンタルには刺激が強すぎるので読めなかったけれど、まさに、そういう気持ち。



「ママがいい」の言葉を振り切らなきゃ行けないほどの用事なんて私にはないのよ。

何も手につかないし、食事もできない。何していても楽しくないし、時間ばかり気になる。

慣らし保育なんて、何にもHappyじゃなかったけど、「おひとり様時間」って言って、お友達と約束をして、無理やりウキウキして気を紛らわせてるだけ。楽しくなんかない。




娘は、最初、認可外の教育熱心で有名な保育園に預けたけれど、いつまで経っても慣れなかった。

毎回毎回、別れの時は泣き叫んだ。


保育の記録写真も、目に生気が全くなくて驚いた。そんな顔、見たことなかった。

これじゃダメだと、高い入園料も全て捨てて、公立認可園に転園したら、初日から全く嫌がらなかった。慣らし保育は、ほとんど泣くことなく、すぐに親友もできた。2歳にもなっていないのに、親友という概念が子どもにはちゃんとあって、未だに大好きなお友達。


泣き叫ぶには理由があるんだと知った。

子どもの命がけの訴えを、私は無視することが出来ない。



今、認可園の保険のために息子を預けている園があるけれど、たぶん絶対にここはダメなのだ。息子に合っていない。

私と離れたくないという以外に理由があるんだと思う。息子がこの園に嬉々として通うことはきっとないだろう。

どうしても復帰しないと回らないから押さえておくけれど、本当は今すぐやめたい。

本当に辛い。


娘の保育園に入れたいけれど、幼稚園の送迎のとの兼ね合いがどうしても難しいから、途方に暮れてしまう。。。




とはいえ、娘の進学先を決めたのも親。

娘にとっての最善を模索した結果、息子を蔑ろにするわけにはいかないから、今選べるベストを探り続けるしかない。

親がいくら汗かいても、お金をかけても、子どもにとってプラスになる時間を提供する。

それができないなら、働く資格はない。そう思って必死で保活をしている。


限りある子どもとの時間。カウントダウンが辛すぎるけど、大切に大切に過ごしていきたい。