居場所がなかった

見つからなかった

未来には期待できるのかわからずに


いつも強い子だねって言われ続けてた

泣かないでえらいねって褒められたりしていたよ

そんな言葉ひとつも望んでなかった
だから解らないフリをしていた


独りきりで生まれて

独りきりで生きていく

きっとそんな毎日が当たり前と思ってた




AYUの曲と思春期・モラトリアムとの相性が良すぎる。

中高生の頃、家にも学校にも居場所がなくて、渋谷に行けば友達に会えるギャル達が羨ましくて仕方なかった。

思い切って「私も仲間に入れて」と言えていたら何かが変わっていたのだろうか。



「トップ校で勉強も出来て身持ちの堅い金髪白ギャル」になりたくて、中学時代は優等生で頑張り続けて内申を稼ぎ、合格を勝ち取ったのに、親は見た目を変えることを何一つ許してくれなかった。


「だったら!!!!

  なんで自由な学校に行かせるの?????」


「箱入り娘として育てたいんなら、

   女子校にすれば良かったじゃないーーーー!」



未だにワナワナとした怒りが行き場を失くして彷徨っている。


私は、お嬢様路線でも全く問題なかった。厳しい校則があるなら、その中で楽しめば良いだけだから。

その校則と親の方針が合っているなら、全くのストレスフリーだった。髪の毛染められないのも「校則のせい」に出来る。門限厳しいのも「皆一緒」って思える。「だってお嬢キャラだから仕方ない」って言い訳できる。



でもさ!!!

自由を謳い、生徒の自主性を重んじる学校は、価値観が全然違うじゃん!!!!

見た目と中身が全然違うからカッコいいんじゃん。そういうカッコよさを追求できる環境に居て、何で親の顔色伺いながら生きなきゃいけないの。



入学した時のテストでは結構??上位だったはずだけど、まー勉強しませんでした。

数学なんて、寝るかマンガ読むか、サボるか。

もちろん親は私がサボってるなんて知らない。



サボると言っても根が真面目で小心者だから大したことはできない。

ただ、親の言うなりのダサい女子高生で人生終えるなんて絶対に嫌だったから必死で抗って生きていた。


本当はもっともっと勉強したかった。

見た目派手だけど生物学部と天文学部と写真部掛け持ち、とか、選択教科出まくりとか、そんなキャラになりたかった。

実際は、髪の毛黒くたって派手なグループだったけど、私がなりたいのはそういうのじゃなかった。だから、学校の勉強を捨ててしまった。

勉強好きだったのに、劣等生でいる方がまだやさぐれた気持ちの落とし所があったんだ。



高校時代は、本当に本当に辛かった。

「属性」の相性は本当に大事。

自分が良いと思うものを、当たり前に皆も良いと思ってくれるコミュニティに居たかった。

「カワイイ」「カッコいい」の感覚が合う友達と一緒に青春をしたかった。




ギャルにもなれない、優等生にもなれない中途半端な自分に諦めがつき、3年生からは、いわゆる“隠キャ系ガリ勉クラスメイト”達とも仲良くするようになった。

心根のキレイな人達ばかりで私の本質を認めてくれて、「置かれた場所で咲く」ことの意味を知ったけれど、それでも私の得られなかった青春は未だに胸をチクチクと刺す。



最終的に、女子大生ブームに乗っかって、だいぶ良い思いをしたので取り戻せたかな?とは思うけれど真顔



あの時の私は、リスカやエンコーに憧れてしまうほど、「助けて」が渦巻いていた。



だから。

環境選びはものすごく大事なんだ。

子どものベクトルと学校のベクトルと、親のベクトルがゆるやかに一致しているようにしてあげたい。

親は、コントローラーではなく、サポーターでありたい。「助けて」って泣きつける存在で居たい。



令和世代の思春期ってどんななんだろう。

AYUの曲が刺さると言われたら、親としては少し…傷ついてしまいそうだ。