ブログは、定期的に更新することで読んでいただける数が増えるのだなぁ、と嬉しくなりつつ、逆にトーンダウンしてサボってしまいました。。
いつもこんな長ったらしいメモ書きを覗いて下さる皆様、ありがとうございます。
実は、少し前から悩んでいることがあります。
こうしてブログを書くようになり、自身の考え方を明らかにしている立場において、「いいねやフォローに対する節度とは?」という問題です。
つまり、私のような人間からのリアクションは不快だと思われる方が一定数いらっしゃるのでは、ということです。
本来、私という人間には色んな一面があり、様々な人の考え方をもっと知りたい、という純粋な思いでジャンルを超えて読ませて頂いておりますが、時に「関係者以外お断り」的なブログを見かけると、共感するにも「立場」が要るのか、と少し身構えます。
なので、トピックスに載っていた記事から誘導されて出会ったブログで、心底いいね!と言いたくなっても、「お受験」というキーワードが持つ無言のマウントが強すぎて、自分の意に反したメッセージ性を与えないか心配で、いいねできない記事がたくさんあります。
また、自意識過剰ですが、「幸せ」と叫んでいる以上、良い面ばかり書いてるので、キラキラインスタ的な圧があったら申し訳ないという思いで、フォローも気軽にできません。
そんなことを思うのは、やはり“お受験”というものの特異性が大きいなと思うのです。
もしかしたら過去のブログとは逆説的かもしれないですが、「お受験」というベールに包まれた世界に対し、毛嫌いする人や一線を引こうとする人、マウントを感じる人がいらっしゃるであろうことは事実なので、少々理屈っぽいですが、以下、一つの考え方としてメモしておきます。
「子どもにとって何が1番か」
と、生まれた瞬間から試行錯誤をして、我が家はこの道を進むことになりました。
縁あって、家族にピッタリと思える学校との出会いがあり、その選択にはとても満足しています。
確かに「お受験」という選択肢がある時点で、恵まれている、と言えばそうかもしれません。
五体満足であり、ある程度育てやすかったから、その選択が出来たわけなので、家族が健康、というその面においては奇跡の連続だし、素直に、ありがたいことだ、とは感じます。
が、綺麗事と思われるとしても、断言したいのは、我が家が幸せだなぁと思うのは、子どもにとって、「現時点で1番と思える選択肢を選べたことそのもの」であり、それが「お受験だった」からではない、ということです。
娘の色々な能力を冷静に判断して、比較的他の子より成長が早いから、今をピークと考えて本人に合う環境に入れてあげたい、と思っていたから、動いただけなのです。
そして、意外とその道は美味しいので、オススメしたい思いもあります![]()
習い事もたくさんしていたので、そのどれかに才能があれば、その道に進ませることを考えていました。ダンスや子役の道もいいなぁと夢見たりもしました。
残念ながら、あらゆる習い事のいずれも、特筆すべき才能は見えなかったし、本人にも特別なこだわりがあるようには思えなかったので、比較的得意だったお勉強の道を選びました。
ただ、それだけです。
下の子も月齢が高いので、お受験には有利だなぁと思うものの、彼の興味や嗜好に合わせて冷静に判断したいと思います。
個人的に、「あの時やっておけば良かった」と思うのが1番のストレスなので、早めに動きます。その点だけは意識しています。
たらればの話で心苦しいですが、もし、我が子に障害があるとしても、今後何かが起きたとしても、私たちは同じことをすると思います。
「この子にとっての1番は?」と「ついでに家族にとってもハッピーなのは?」の2軸で、早いうちから情報を取りに行き、動くだけです。
もし何らかの理由で、子どもにとって、「お受験が最適解なのに、それを選択できない」という状況だったら必死で足掻いたでしょうが、そもそもブログ内で散々書いている通り、「お受験が最適解」という状況はあり得ないだろうなーと思います。
つまり、金銭的にもバックグラウンド的にもその選択肢があったことは、可能性を増やすという点では良かったけれど、単なる選択肢の一つにすぎず、それがなくても不幸ではなかったと思っています。
ただ、『ある選択肢を持つことができなかった』ということに関して、他人を羨んで生きる、というのは避けたかったので、どうしても羨ましくなってしまうだろうことを予め想定して、叶える努力はしてきた点は、自分を褒めても良いと思える点です。
例えば、就職をする時、結婚をする時、子を持つ時、出来るだけ多くの選択肢を得られる未来を選ぼう、と努力してきたつもりではあります。
つまり、私にとってお受験というのは、どこの塾に通う?何の習い事する?どこの学区の小学校いく?学童どうする?みたいな悩みと、そう大きな違いはなかった、というのが本音です。
今ある状況を少しでも良くすること、
ベストを尽くしたといえること、
それを重ねることを「幸せ」と考えています。
ブログを書くのは、ともすると上を羨んだり、今を嘆いたりしてしまうから、自分に言い聞かせて、前を向くためです。
現状に満足なんて全くしてないですが、小さな幸せを一つ一つ積み重ねていくことでしか満足には辿り着けないので、その過程を残していこう、と思っています。
なので、存在が悪になり得るとしたら、予めごめんなさい、というしかないですが、一応、新米母の奮闘記として残しておきます。悪しからず。