ふと思ったことがありまして。
私は独身時代、「難しいことぜんぜんわかんなーい」「重いものなんて持てなーい」「地図苦手ー」「運転できないし免許も欲しくないー」
…って、散々男性に丸投げしてたなぁ、と。
デートプランもお支払いも、交通手段も荷物運びも運転もルート検索も、まぁとにかく、何もかも、やってもらっていました。
その上、お店がイマイチだとか、段取り悪いだとか、センスがどうとか、女友達と裏でグチる始末。
でも、男性はいつだって「オンナもちゃんとやれ!」とは言わなかった。マイプレジャーとばかりにニコニコとやってくれていました。
今、夫もそんな感じ。役に立てるのは嬉しいとニコニコ。
一方。
私は、自分の権利や主張はハッキリし、夫にとても厳しい妻です。むしろ鬼です。
子供関連の手続き、子育て、家事、何もかも「平等」にキャッチアップしてくれなきゃイライラ。
「いいよ、私がやるから。」の言葉、夫のそれとは全く違って「あなたが頼らないからやってやるのよ。」と言う意味。
男性は、確かに、家事育児の面では頼りないけれど、仕事やいわゆる「男らしさ」の場面において、女に「やってやってる」感は出さないものだなぁとふと思ったわけです。
旅行だって荷物持つのだって車の運転だってお店選びだって、本来は2人の問題なのに、1人で背負っても弱音を吐かず、失敗したら責任を一人で負って「ごめん」と言ってくれる、そういう「男らしさ」を美学としている気がします。
ローンで言ったら「債務者」と「連帯保証人」のような感じ。
女性は、育児、家事、「とーぜん2人の問題でしょ!!!」「なんでこっちにばっかり押し付けるの!!!」「自分でも調べて!!!」と、どうにかして、責任を二等分したがるような気がします。ローンでいうと、「ペアローン」、「共同債務者」の関係が好きなんですね。
もちろん、家庭の問題を本当に公平に分割できればそれに越したことはないけれど、やはり割り切れないものはあるわけで、そんな時、女性は、普段男性に矢面に立ってもらったりリードしてもらったりしたポイントを全てチャラにして、「その問題」だけにスポットを当てて、「平等」を主張しがちだなぁ、と思った訳です。
内助の功とはよく言ったわけで、女性は、男性が前に立っていたとしても、両輪駆動の如く、何かしらフォローする体制を整える習性があるんでしょうね。
だから、自分が前輪駆動してる時、夫の車輪がただ自分に引っ張られてるだけだと「働け!」と思う訳です。
でも、かつて「わたしわかんなーい」「働いても稼げないーー」なんて言ってた時期があるとしたら、ハンドバッグ以外の重いものは全部運んでもらっているとしたら、たまには、自分の得意な分野くらい、“喜んで”完全にリードすることの方が「平等」かもしれない、と振り返ってみるのも良いかも、と思ったのです。
女性から見た育児漫画は男性に対する愚痴が多いけど、男性から見た育児漫画って(数は少ないけど)、女性に対する感謝とか尊敬、あるいは子育ての楽しさが溢れてる気がするのも、視野の違いなのでしょうか。
と、毎日、何だかんだイライラしたり、夫をディスったり、娘に早く早くと急かしたり、何かと恩着せがましい自分に嫌気がさしたので、考察してみた次第です。