このところ一気に寒くなりましたね。
久しぶりの冬の制服、かわいいです![]()
いよいよ事前面接が始まった学校もあるようで、これからかな?という親子3人連れを見ると、無性に胸がキュッとなって、「頑張って!!!」って小さくお辞儀をしてすれ違います。こういう時、上から目線じゃなく挨拶的にエールを贈る言葉があったらいいのに。「グッドラック」とか「ファイティン」とか?![]()
日本語はそういうとこ堅苦しい![]()
ところで、中受で上位校を目指そうとする子どもが、一般的な公立に行ったら簡単すぎる授業時間をどう過ごすのか?授業がつまらなさすぎて辛いのではないか?といった議論をインターエデュで見かけました。
全部は読んでいないけど、「学校にどこまで求めるか」という問題かなぁと思います。
教育を丸投げできる学校なんてない、と、そもそも大して期待していない私です。
父の仕事の都合で、都心の公立と田舎の公立を経験していて、どちらも学校の授業は簡単すぎて、分からない子に合わせて何度も何度も同じことを習うのも苦痛でなかった、とは言いません。
6年間、自分に合った授業を受けることができたら、もしかしたらもっと幅の広い人間になるんじゃないか?みたいなトピ主さんの言葉に、ああ、私はあの6年間随分無駄に過ごしてしまったのだなぁと切なくなりました。
そんな風に真剣に考えてくれる親の元で育つお子さんは幸せだろうな。
と思う一方、私は公立生活、とっっっても楽しかったです。
正直、自分の地元の公立なら、子供たちを通わせるの全く問題ないと思っていました。
やっぱり、あの地域の地元の友達が出来るって、相当面白いし![]()
恐ろしいセレブの子も、地元の商店の子も、大使館の子も、社宅の子も、芸能人の子も、もちろん医者の子も。いろーんな子と仲良くなれる、まさに多様性の世界。幼馴染みというのは、大人の価値観関係なしに仲良くなれる最初で最後の宝ものだと思います。
学校の授業なんて、基礎力を100%に身につける場と割り切れば、ちゃんと新しい発見があるし、いつも100点を目指すというのはそれなりの難しさがあるものです。
私は、赤毛のアンや灰谷健次郎に憧れて、学校の先生になりたいと思っていた時期が長かったので、「自分ならこう教えるのに」と先生になるシミュレーションをしながら過ごしていました。
自分の子供が、もし公立では物足りないであろう学力がある子だとしても、子に過信をさせず、学ぶべきものを自ら見つける訓練をさせることは、決して無駄にはならないと思います。
「簡単すぎてつまらない」などと言うようなら、「教科書の内容を100%理解しているのか?」とクイズを出してみても良いでしょう。
物事の深掘りの仕方や、質問力など、身につけるべき力は沢山あります。
あるいは、「字をものすごく綺麗に書く」のも良いかもしれません。暇すぎて落書きする、なんて時間はなくなります。
公立は、お金もかからないし、宿題も少ないし、給食も出るし、学童もあるし、至れり尽くせりです。学校の授業を、学校にいる間に完璧に仕上げさえすれば、相当に時間を有意義に使えるようになるでしょう。
習い事も塾も、アクティブラーニングも英語も、学校以外のより良い先生に教えて貰えば、私立よりもずっと豊かな生活になる可能性があります。
例えば、私立の学費が月10万円としたら、それ全部習い事に注ぎ込めるわけですよね。なかなか贅沢な選択肢がありそうです![]()
中受なのか高受なのか、色々とその先の悩みはあると思いますが…、もしも子どもがそれなりに優秀なら、子どもの力を信じて伸びたい方向を探ったとしても、遅くないように思います。
公立でも私立でも、教育指導要領に変わりはないわけで、その内容を100%理解していればどこへ行っても怖いものはないということですから。
実際、私は進研ゼミと学校の勉強だけで、問題なく中受塾の特進クラスに入れました。今は難易度が上がっているらしいですが、どうでしょうね。
娘に関しては、ワーママとして目が届かない時期に思春期を迎える怖さと、自分の女親としての力不足を感じて一貫校を選んだのですが、息子に関しては、やっぱり公立、というのもありかなぁと、一周回って考えているところです。
一点、公立回避したいなと思うポイントとしては、子どもたちが公園でたむろしてゲームをしているのを見かけることですね。。
男子=ゲームが切っても切り離せないことも分かりますが、外で遊びなさいと言われて、ゲームしかできない友人関係は嫌だなぁ、と、それだけが心配です。
娘の保育園時代のお友達との昔ながらのご近所付き合いが楽しすぎたから、息子も「地元のお友だち」が出来る環境には必ず身を置きたいなと考えながら、進路を悩んでいるところです。
ただ、公立を選択する場合、絶対に住む地域と学校の評判には妥協をしないこと。それだけ注意すれば、公立小・中の生活は、私立とはまた違った有意義なものになることを保証します。