一つ前のブログでは、なんて酷い母…というような内容ですが。


母は、母親としては尊敬しかない、とにかく働き者の立派な女性でした。


幼稚園時代の母について

  • 季節ごとの行事は必ず手作りのパーティー料理とデコレーションケーキでお祝い
  • しかも、20人近い親戚を招いて、1人で手作り&おもてなしゲッソリゲッソリ 1歳未満の乳飲み子の私を抱えてる時代から滝汗
  • 歩いて通える職場だったので、父は平日でもお昼ご飯を食べに帰ってくる
  • 幼稚園時代は園グッズ全て手作り、もちろんお弁当も作る
  • 朝ごはんももちろんちゃんと一汁三菜
  • 父親は味にうるさく、もちろん何一つ手伝わない
  • すぐそばに、姑、小姑が住んでおり、いつでもズカズカ入ってくる
  • 姑からは、理不尽な呼び出しや言いつけがしょっちゅうあり、即対応しなければならない
  • そんな環境にありながら、おやつの時間は手作りのお菓子が並ぶ
  • クリスマスのディナーにタンシチューやオックステールスープ、ローストチキンなどの手の込んだ料理が並ぶ
  • その数日後から、お節も5段重手作りする
  • 大晦日も元旦も親戚が集まるから、お節以外のパーティー料理も作る
  • 子供と外で遊ぶ時も全力
  • 夜は必ず絵本を読んでくれる
  • 手芸もお習字も日曜大工もお手のもの
  • 子供の見ている前で決して父と喧嘩をしない
  • ソファでダラダラしているのを見たことない
…etc.

ちょっと書いてて辛くなっちゃった泣くうさぎ
本当にハイパーウーマンだしハイパーママだと思う。
当時、もちろん食洗機だってネットスーパーだって電動自転車だってドラム式洗濯&乾燥機だってルンバだって、なーーーんにもないんだよ?
日々の買い物だけでもしんどそうだよ。。

妹を妊娠してる時、安物のママチャリに、前後ろ子供を乗せて、カゴいっぱいにスーパーの袋詰めて、急な坂を登っていたら、ハンドル取られて転倒したことがあって。
私たちも怖くて痛くて泣いたんだけど、
大きなお腹のママが地面にへたり込んで、声を上げて泣き出したのを見て、弟と2人、涙が引っ込んだことを今思い出しました。

臨月近いお腹で、弟の幼稚園の送迎をして、5-6歳の私の予定に付き合い、やむを得ず買い物をするために自転車に乗って…どんなに怖かっただろう。そもそも、どれほど重かったのだろう、あの自転車を漕ぐのは。


幼稚園でもママは人気者で、狭い我が家にはいつも人が溢れていて。
私たちが家に居ないのに友達がゲームをやりに来てることもあるくらい、にぎやかな家でした。

送迎の時は、道端の草木、虫についてあれこれ教えてくれて、季節の移ろいを肌で学びながら歩くのが楽しかった。
帰り道は、いつもお友達とお話ししながら、沢山の親の目に見守られていることが心地良かったな。


当時母に教わったことは、そのまま娘のお受験の成功に繋がっていると思う。
あの「丁寧な暮らし」というものは、決して当たり前じゃなくて、今やお金を払って学ぶものなんだって!と、もし母が生きていたら伝えてあげたかった。
私は、ママに教わったことで十分以上に娘に教えてあげることができるんだよって。


母親となった私は、優しい夫に甘えて手を抜いてばかりの毎日だけど、あのママの背中を見ていたから、ここぞという時に頑張ることができる。
手作りのおせちも、ケーキも、煮込み料理も、オーブン料理も、ちょっとしたおやつも、当たり前に子供たちに作ってあげられる。

原っぱで虫やトカゲを、得意げに捕まえてくれたあのいたずらっ子の顔を思い出しながら、同じ顔で虫を捕まえて娘に笑いかける自分がいる。

ママはね、何でもできるのよ。
だって、ママのばぁばが全部教えてくれたからねって、娘に自慢している。


母がくれた幼少期の思い出は、本当に陽だまりのような幸せな空間でした。
あの時間が、私を支えてくれているから、今の私が居ると思う。
あの時から、私の将来の夢はお嫁さんだったし、ママは私の理想のママでした。
それは、大人になっても揺るがない夢でした。

そんな話を母とする日、その日がきっと母と心から分かり合える日になるはずだったのに、そのために大人になったのに、どうして今、ママはここに居てくれないのだろう。


ママに見て欲しかったな。
私が口先だけでママを愛していたんじゃないこと。
本気でママを理想としていたこと。
ちゃんとカタチにしたところ。
見て欲しかった。

全然足りないわよ!
私なんてこんなラクじゃなかったんだから!
って、愚痴ってくれる姿、見たかったよ、ママ。