今日一日は、娘と仲良く楽しく過ごせました。
クッキーを一緒に作ろうとしたらバターが足りなくて断念。
台風でどこへもいけないので、皆でダラダラとお菓子を食べるゆるーい1日にしました。
お手紙交換でお互い「大好き」を伝え合う遊び、というのを娘が発明し、全力で楽しみました![]()
私が怒らないせいか、ちょっとした物事の理解もスムーズで、突然引き算を披露してくれたりしてビックリ‼️久々に褒めることが沢山できた満足の1日になりました。
先日受けたカウンセリングは、先生がすごく的確に話を聞いて下さるので、自分の問題が少し見えてきた気がします。
- 母に満たしてもらえなかった愛情や欲求が、自分を不完全なものとしている感覚がある
- 自分は娘にとって「癌」なのではないかという自信のなさがある
- 物理的な優しさ、愛情の示し方がよく分からない
- 娘の問題行動は、全て自分のせいだ、と結びつけて考える思考癖がある
- 子供の欲求は留まることを知らないから、「もっと愛して」と言っているだけなのに、「私の愛情が足りないせいだ」と責められているような感覚に陥り、イライラしてしまう
- セルフケアでここまで生きてきたから、人に助けを求めたり、甘えたりする人をみると「自立していない」と嫌な気持ちになる
- 「怒り」という形で甘えを表現するしかなかったけど、その奥底の気持ちを見てくれる人が居なかった
- 「助けて」といって拒絶されるくらいなら自分でやることを選んできた人生
今回、カウンセリングの先生との相性がものすごく良さそうです。
私、自分を正しい視点で「可哀想だな」って初めて思えたような気がします。
感傷的な「可哀想」ではなくて、ACの自分、ちっぽけで捨て犬みたいな顔してる子供の顔が浮かんできました。
最近、夫のことも拒絶していたのですが、捨て犬のように心を閉ざしていたからなのかもしれません。ちゃんと話してみよう、と思います。
【ACの自分へのメモ】
欲しい愛情を上手に貰えなくて何度も傷付いてきて、これ以上落胆するのが嫌だから、人に期待をしないように生きてきたんだね。
娘と同じ歳には、もう母と娘の立場が逆転していて、機能不全な家族の中核を担ってしまった。
「ごめんね」も「ありがとう」もないままに、「口うるさい」ことが私の機能になってしまっていたんだ。
もうあなたは、ただ笑っているだけで家族の柱になれる存在なんだよ。今日みたいに、何の機能もなくても、ただ居るだけで愛してくれる家族の元にいる。
娘は私じゃないし、私はママじゃない。
娘はちゃんと愛された子として生きているよ。私からの愛が足りなくて求めてるんじゃない。ただ、私のことを大好きって思っているだけ。もっとシンプルなんだよ。
ここは、誰も人格否定をしない、誰も皮肉を言わない、誰もが自由に過ごす権利をもらっている平和な場所だよ。くつろいでいいんだよ。