※「お受験」=幼稚園受験、小学校受験として書いています。


いよいよ本番も近づいてきましたね。

スケジュールをこなすだけでも辛かったあの日々を思い出し、胃がキリキリします。

どうか、1つでも多くのご家庭の努力が身を結びますように。どうか、1人でも多くのお子様が笑顔で春を迎えられますように、と祈るような思いです。


ただでさえ感情のコントロールが苦手な私…小受だったら…我が家は崩壊の危機だったと思います。。ゲッソリなので、立派に小受を終え、志望校への合格を手にされるご家庭には尊敬しかありません泣くうさぎ泣くうさぎ



ただ、一方で…先日お教室を辞めたのですが、先生からは「娘ちゃんならもっと上を目指せるのにもったいない!」と引き止められ、モヤモヤしたので書き始めました。

娘にとって「合う」かどうかではなく、「上」かどうかなんですかねぇ。。お受験の「上」って何なんでしょう。。



過熱するお受験。

ドライブしていると、主要駅ごとに、ネイビー族が溢れているのを見かけます。お教室が増えているのですねー。


おそらく私が娘を産むほんの少し前までは、ネイビー族ってもっと限られた人たちで構成されていて、皆、その佇まいから只者ならぬオーラが放たれていたような気がしています。

実際、広尾や四谷あたりのジャックには、そういう親子が今でも多くて、眩いばかりです。



反面…もはや就活生みたいな親子もチラホラ。。ごめんなさいお願い

くたびれたネイビーを一張羅のように着倒して、子供もまたヨレヨレのお受験服で、疲れたように歩いているのをみると、「コレジャナイ感」が半端なくて、グッタリします。

子供が可哀想だなぁ…と。



お教室に通うのに、「居住まいを正す」ためのお洋服の一つがネイビーなだけであって、「紺色の服を着る」ことは目的ではないのですよね。

別に紺に身を包まなくても、「身だしなみを整える」目的さえ果たしていれば、十分本番に向けての準備になると思います。

逆に、アイロンもかけてないようなポロシャツ着せて猫背で歩く子供の手を引っ張る、安物のネイビーワンピースのママ…じゃ、本来の意味とかけ離れてしまっています。


オーダーメイドの必要はないけど、「素敵なお洋服を着てウキウキ」する気持ちとか、「キチンとする特別感」とか、「背筋が伸びる感覚」とか、そういう価値観を育むのが「ネイビーに身を包む」意味だと思います。

せめて、子供にとって、お教室に行くお洋服を着ることくらいは「楽しい」気持ちになるものであってほしいな…と願わずにいられません。



お受験をする共働き家庭が増えてきたから、量産型の親子が増えてきたんだろうと思いますけれど、「本末転倒」になっているケース、突き詰めれば「親の見栄」で突っ走ってる家族も見かけます。闇受験しようとしていた我が家もしかり泣

  • 私立に入れられる経済力を証明したい
  • 親として立派だと思われたい
  • 「良い学歴」が欲しい
  • 上流社会に仲間入りしたい
  • 「すごい」と言われたい
いやいや、その学校は誰が通うのでしょう?
親の自己顕示欲のために、子供に無理な勉強をさせるとしたらそれは虐待なのでは…と踏み留まりました。


また、いくつかの小学校の試験が、発達障害をふるい分けるような内容だという記事を見かけたことがありますが、残念ながら特に私学はもともとの立ち位置が「選民思想」から始まっている訳で、その意図は少なからずあると思われます。


もともと、学校側にとっては「親子共に扱いやすい」ことが何より大事なこと。

  • クレーマーにならない親
  • 無駄に反抗的にならない子供
  • 指示が通りやすい子供と親

それを確かめるのが入学試験なのですよね。

聡明でお友達と仲良くできて、先生に協力的で、発想力豊かで、躾が出来ている子=先生から見て「可愛い」子かどうか。


学校特有の散文的な指示を的確に理解し、締め切りを守り、忘れ物なく、身綺麗で、素性の知れた親=先生から見て「信頼できる」親かどうか。



その本質を理解していたら、代々組以外は「この学校に入れたい!!」という希望校ありきのお受験にはなり得ないと感じます。



そもそも、「お受験」というのは、ゴルフの名門クラブなどへの入会と同じことで、“出自が確かで、子供が正常に発達している家族を仲間に入れたい”ということな訳で、本来、いくら取り繕ってもダメなものはダメなんですよね。

何校も合格するお家、というのはそういうことで、誰もが「欲しい」訳ですよねー。逆立ちしても届きません笑い泣き



「我が家・我が子こそ、この学校に相応しい」


そう思う家庭のための戦いの場であり、そもそもお呼びでない人は、学校に入ってからもお呼びでないので、万一、背伸びして入っても、ますます辛くなるだけなのではないかなぁと感じます。



学校側の「ありのままのご家庭の姿を見せてください」というのは、まさに言葉通りであり、「ありのままの家庭の姿が、学校に合致している人」を求めている訳なので、我が家と我が子が伸びゆかんとする方向が、学校の向かう方向と合っているなら頑張る価値がある、という種類のものではないでしょうか。


ファッションでもなければ、ステータスでもなく、単純に「合うコミュニティに身を置く」というプロセスなので、目的と手段が逆になると、子供にとって悲劇しか産まないように思います。



その辺りが中受と大きく違うところかな、と実感しているところです。


あ、でも小受なら、新興校や、伝統校の中でもペーパー重視の学校などは、経営の視点が今の時代に合っているので、「共働きにも優しい」と親の関わりの少なさを謳っている学校などは、子供だけを評価する可能性も高く、選択肢が広がっているかもしれないですねスター


いずれにしても、相手が何を求めているか、どんな学校生活を理想としているか、「ありのまま」の自分たちが居心地が良いか、というのは、志望校選びに欠かせない視点だと思います。