『大人の俺が言っちゃいけないこと言っちゃうけど、説教するってぶっちゃけ快楽〜♪』
って歌詞にギクッとしたのは私だけでしょうか![]()
いい歳して、思い通りにならないとブチギレてしまう自分、理不尽な感情をぶつけてしまう自分、そんな私に似てきた娘を見てさらに腹が立ってしまう自分…どうにか治したくて結婚前からアンガーマネージメント、育児書、心理学書など読み漁ってきましたが、最近出会った言葉に「絶対怒らない親になる」というものがあり、ああそうか、親は「怒る」を手放しても良いのか、とすごく納得しました。
こういう時は怒って良くてこういう時は怒ってはいけない、と場合分けしているとマイルールがどんどんできてしまうのが気になっていましたが、そもそも「ダメ」というのはシンプルですね。
「怒らない子育て」って言われると、昭和の子育てを否定されているみたいで嫌だったのですが…言葉ってほんと不思議です。
そんな中、最近始めた方法が良さそうなので記録しておきたいと思います。
それはごっこ遊び![]()
といっても子どもの遊びではなく、日常生活を「ごっこ遊び」で過ごすことです。
お店屋さんやお嬢様ごっこ、お姫様ごっこの世界では、自然と丁寧な言葉遣いになります。そこに「怒る」はなく「嗜める」だけの平和な世界です。
そして、「自分じゃない」という設定のおかげで「恥ずかしくない」。
これまで、怒らない自分にならなきゃ!と頑張ると、過去の自分のアイデンティティを否定するような感覚が体の底から湧き上がって、細胞レベルで拒否反応が起きてたんです。
そして禁断症状さながら「怒り」を取り戻そうとしてしまうことが、大きなハードルでした。
でも、「ごっこ遊び」と思ってやると、子どもの遊びに付き合ってあげているという満足感と、自分じゃない役柄を演じているという大義名分のおかげで、言葉を発する前に考える、という正しいプロセスを踏めるようになりました。
そもそも…私、口から生まれたと言われるほど言葉が得意で、考える前に話してしまっても運動神経ならぬ言語神経で辻褄合わせができてしまっていたのですが、大人はそれじゃいけないんですよね。誰も教えてくれなかった…と他人を責めたくなるダメな私。皆自分で気づくものなのでしょうか?親に教わるのでしょうか。
少なくとも学校教育の範囲では、人との会話はテンポよく、聞かれたことにはすぐに明確に答えなさいと言われてきたはずなのに、大人になったら思慮深く言葉少ないことを褒められるって…ターニングポイントはいつだったのでしょうか??![]()
まだ始めてみて数日ですが、子供が嬉しそうなのと、私もいわゆる「山手言葉」を話す自分に少しずつ慣れてきて気分が良いです。
実家では、「上品ぶってる」「気取ってる」「嘘くさい」「気持ち悪い」という言葉が日常的に飛び交っていました。
でも私は、小公女セーラのように美しく生きたかったし、本当にお姫様になりたかった。
バレエの世界を愛し、人一倍姿勢を正す私をみて「1人お嬢様ごっこしてる」と嘲笑われる家庭環境に、自分を封じ込めて生きるためには、怒りという強い蓋が必要だったのかもしれません。
でも、最近続けているこの「ごっこ遊び」が、いつか自分の「なりたかった私」への道につながっているような、「怒りで蓋をする前の自分」に戻れるようなそんな予感がしています。
「〜だわ」「お母様、〜してくださる?」と会話する娘の声や目が優しいことや、より良い言い回しを教えてくれる娘の成長を幸せに思えることも思いがけない副産物です。