昨晩、プロジェクターで流していたら、娘がポツリとつぶやいた言葉。


「なんか涙出てきちゃった。」

「どうしたの?」

「みにくいアヒルの子がみんなにいじめられて、最後にはママにも嫌われて可哀想って思って…。私もママに良く怒られるから、嫌われてるのかな、要らないのかなって思ったの。」



ゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリゲッソリ



娘、ごめんなさい。

ギュッと抱きしめてあげたかったけど、息子寝かしつけ中でできなかった。

ごめんなさい。


今日は一度も怒らないと約束しました。

さっき、ワークし始めたら娘が癇癪を起こし始めたのでケンカになる前に部屋を出たのはグッジョブ、私グラサン 

「シカト」にはなるかもしれないけど、酷い言葉投げつけなくて済むのは今1番大事なこと。

私も怒りを収めるという大義名分のもと、寝室にこもって、好きなだけスマホ見て良いというご褒美もらえるし、娘もクールダウンできるし、「怒らない」という約束、これからも続けていきたい。



それにしても…

私もまた、みにくいアヒルの子を読みながら何度涙したことか…真顔真顔真顔

「こんなに愛されないし、似てないと言われるし、私は白鳥なのね。きっと王子様に見染められて、ママが泣いて謝る日がくるわ。」

という悲劇のヒロイン思考をとことん育んだ幼少期でした笑い泣き



自己肯定感って何でしょうね。

私は、母にはことごとく踏み躙られていた気がきますが、一歩外に出ればみんなが褒めてくれたし、父にも可愛がられていたし、自分が物語の主人公だっていう感覚はいい大人になるまで(いや、今も?まじかるクラウン)変わりませんでした。


そう思うと、子供が持つ誇りや気高さって、たかが母1人の力なんかで簡単に折れるような弱いものでもなさそうだなぁと少しだけ気が楽になります。



と言いつつ、20代で味わった、足元にポッカリ穴が空いているような拠り所のなさは、本当の意味での自己肯定感のなさだったのだろうと思うので、養育者(≒母親)の与える影響は重大なことは間違いないですね。




「大好きだよ」の言葉が宙に浮かばないような関係をちゃんと育んでいきたいです。


まずは、「今日は一度も怒らない」。