私は、零細企業の2代目社長の父を持ち、3人弟妹の一番上だったので、何かと「お金がない」という言葉で色んなことを切り捨てられて生きてきました。

その結果、中受はしたものの、高校までは公立に進み、大学だけは懇願して国立を蹴り、私立に行きました。親の意向に反したので奨学金を借りて全部自分で出しました。

(親の年収は節税対策で常に平均以下なので笑い泣き




実際、バブル崩壊後の当時は大変だったんだろうなぁと思う面もありつつも、子供心に「お金がない」という言葉で子供の進路を決めるなんて変だなと疑問に思っていました。

(しかもいわゆる3A地域に持ちビル、一軒家、会社あり…「お金」とは?笑い泣き



子供の頃から、気位が高く、なぜか1人小公女のような気持ちで生きていて、人と比べるという事を知らず、常に人より上の気持ちでした。


実際、何事につけても平均点を意識したことはなく、「なぜ満点じゃなかったか」の答え合わせをするような、オール5に限りなく近い成績が常でした。


絵画を習ったこともないのに展覧会出品の常連、塾も行かずに作文はいつも表彰、習字も習わず学校代表、初めての入塾テストで特待生になり1年間学費無料…。

転勤族でしたが、どの学校やコミュニティに居ても評価者から贔屓されてしまうような、分かりやすい優等生タイプでした。



今思うと、私ほど小受向きの子供はいなかっただろうなぁ。コスパめっちゃ良かっただろうなぁ。。と、「お金のない」子供時代を残念に思います。




そんな経験を通じて、幼児期の今でこそ娘には色んな可能性を知りたくてあれこれ習わせていますが、そんなの習わなくても、学校の授業と家のフォローだけでも十分世間に通用する力をつけることができるということを、自身の実体験で確信しています。



そして、高校までの学歴なんて、社会に出れば何の意味もないし、就活が全ての答え合わせである、というのも、いわゆる一流企業に属してみて、「こんなもんか」という具合に理解しています。



大卒ならGMARCHを最低限にはしたいけれど、本人がやりたい進路に対して、正しい道であれば偏差値なんて関係ないと言えるだけの親力があることを自負しているし、間違っても親の見栄で子供の進路を決めるという教育は、私は受けていません。



だから、「東大に行ってほしい!」「医者になってほしい」みたいなことを子供に託す親の気持ちは全く分からないのだけど、ならばなぜ、私立一貫校を受験させたのか。




母親も働き続ける背中を見せたいから。




それに尽きます。

正直、料理も好きだし、家のことやるのも好きだし、専業主婦もいいなぁと思う気持ちはあるのですが、これだけ家事が楽になってきた今、子に見せる親の背中として専業主婦は弱いなぁ、と思うのです。


世界に羽ばたく子供になってほしいと願いながら、自分は家庭という狭い世界に閉じこもって家事育児に追われていたら、それこそ東大卒でもないのに子に東大卒の夢を負わせるようなもの。

だから私は、いつまでも広い世界と関わっていたいと思うのです。


共働きには両立が難しいとされてきた私立校ですが、幼稚園はともかく小学校ならそれほど問題ない上、先生方の面倒見の良さは、働く親にとって大きな安心感です。さらに、受験や学内トラブルなど精神的に煩わされる問題がとても少ない!



また、私立校というのは、親も運営に関わる構成員である点が公立校と最も大きく違う点だと思うのですが、だからこそ、「この学校をより良いものにしたい」という願いに関して、学校はとても寛容だと感じています。

ただ「母親」という立場だけの発言はともするとクレーマー的、自己中心的と捉えられかねませんが、会社員としての正式な肩書をもつ親の言葉には「生産性」を付随させやすく、そのことが「全体最適を考えて発言してますよ」という言葉として伝えやすいなぁ、と感じます。



願書にも面接でも、包み隠さず仕事があることを話していることが前提となりますが、それで合格を頂けた学校というのは「変わろう」という意識のある学校だと感じます。

それであれば、堂々と両立のために建設的な意見を出して行くことが、変わりゆく時代の中で学校が変わらず存在感を持って存続していくために必要なことではないかな、と思っていますし、今後ますます働くママはメジャー勢力になって行くと実感しています。




話の流れがズレてきましたが、とにかく、子供を私立に入れる理由が、親の叶えられなかった夢の実現のためであってはいけないこと、これからの未来、子供にどう生きてほしいかは、学校任せではなく親が責任を持って背中で示す自覚を持つこと、というのは受験に差し当たって最も意識したことです。


その上で、お金を払う分、学校に求めるものとしては、一生の「居場所」と呼べる友人とアイデンティティの基地を持てること、塾に追われずに好きなことや学びに没頭できることです。



ついでに、いつか娘が結婚するとき、どんな相手に対しても恥じることのない出自として示せる血統書的な役割は、幼稚園受験のラッキーなオマケだなニヤリと感じていますキラキラ



地方の公立校から一流企業に就職してきた子達の頭の良さや経験値の高さを見ても、学校で何を学ぶか、というのは生活のほんの一部に過ぎません。本人が伸びる力を持っていれば自ずと環境を得て行くもの。


お膳立てをすることばかりに躍起になり、本来の目的を見失った「教育ママ」にはならないように気をつけたいなぁと、のほほんと考えています。