雙葉系の学校説明会などで頂く資料の一つに「親の祈り」という1枚の紙があります。



これを読んだ時、頭をガーンと打たれたような気持ちになりました。



娘を育てる中で、もがき苦しみ試行錯誤しながら過ごしたこの数年間。色んな本を読み、ある時は自分を鼓舞し、ある時は自己嫌悪に陥りながら日々、親としてのチェックリストを更新しながら生きてきたわけですが、このほんの小さな1枚の紙に、大切なことが全て網羅されてるんですもの笑い泣き


私が白紙からやってきたことは、この親の祈りにたどり着く作業に過ぎなかった訳かぁ…と若干の徒労感。。

と共に、「雙葉」の求める親の在り方、いいなピンクハートって思いました。



そして、宗教という拠り所がある人達は、先人の言葉をシェア出来るだけではなく、古今東西、人々が「同じ悩みを抱えてきた」といってもらえる共同体に居るんだな、と理解した瞬間でした。




「ああ、今日も子供を感情的に怒鳴ってしまった」

下矢印

「なんて私はダメなんだろう」

「そもそも大人になれてない気がする」

「そもそも良い母親なんて分からない」

「だって自分自身も母とうまくいってなかったんだもん」

 「私はアダルトチルドレンなんだ、心に障害があるんだ、だからうまくやれないんだ」

「いや、だからと言って目の前の子供を傷つけて良いわけない」

「言い訳ばかりしてなんてダメなんだ私は…」




と、頭の中ぐーるぐーるもやもや




私は信者ではないけれど、悩む代わりに「親の祈り」を読んでみると、グーの音も出ない…。

「でも」とか「だって」とか言えない絶対的な圧力がある。正論以上の正論、なぜなら、そんな“未熟な親であること”すら包含されているから。



だから、信仰のある人は、“未熟な自分”の頭で考えないで、「神様」に委ねるわけですね。

それは、神頼みではなく、思考の置き換えに近い作業なんだなって思いました。

  • マインドフルネス
  • 言霊
  • 引き寄せ
  • ポジティブシンキング

いずれもほぼ同じことだけど、何が難しいかって、目の前の出来事に対する認知の仕方、思考のクセを変えることが一番のカギで、自分の頭に言い聞かせる言葉が思いつかないところです。



信仰がある人は、「祈り」という沢山のお手本があり、先人の思考のクセを型として身に付けることができます。

赤毛のアンや若草物語を読んでた私は、子供達が夕食どきに「祈りなさい」と言われて嫌々練習する、という場面に何度か遭遇したのですが、あれは思考のクセを身につけるトレーニングだったのですね。




私は、数々の戦争の原因になったキリスト教というものを心の底から「良い」と思うのは難しいのだけど、いま目の前で直面している子育ての課題、「子の愛と信頼と尊敬に足る人間となる」ために「祈り」の力を借りてみようかな。



100均で買ったことわざカルタを娘とやってたら「下手の考え休むに似たり」とあって、苦笑い笑い泣きこういうのを「啓示」っていうのかな…とか思い始める時点で、すでに宗教の世界に片足突っ込んでるのかもしれません笑



神に頼っても変わりたい私です笑い泣き

娘の良いところを、私の悪い部分が塗りつぶしてしまわないか、壊してしまわないか、怖くてたまらないアセアセ

私なんかより、娘の方がよっぽど人間としての徳が高いから、親でいるのが辛い。。

上に立つものが、自分より遥かに「偉大」とされているものの力に縋りたくなる気持ちが本当によく分かります。


政治家が宗教やら占い師に頼るプロセスと全く同じでしょうね。。



日本は形式上、無宗教だから、「寄る辺(よるべ)」の欠如があると思います。島国で孤立している上に、宗教にも頼れない。全部自分で解決しなさい、と放り投げられてるようなものです。だから余計に家族の問題が根深くなるわけです。我が家は、根深くなる前にどうにかしなければ…アセアセ



とりあえず、「親の祈り」はお手洗いに貼っているのですが(笑)、来客にも好評で「真似した」という友達が続出しています。

毎日声に出して唱えるだけでも何かが変わるかな?笑