私の母は10年の闘病の結果、私が20代の頃に他界しました。

発症したのは中高生の頃でしたが、私はそのことを見てみぬふりしました。

気にしないようにして過ごせば、無かったことになると思ったからです。

あれこれ気にしたり、心配したり、治療法に口を挟んだりしたら、最悪の事態を引き寄せるような気がしたのです。

となりのトトロの“ススワタリ”のように、気付かないふりして笑って吹き飛ばせばいいんだって思ってたのです。


大学生になり、母は入退院を繰り返すようになりました。

私は、「友達にバレたら人生終わる」と思っていました。


なぜなら、その時の私は、港区女子を満喫しており、友達は皆、学歴や容姿のみならず、裕福で温かい家族に恵まれた非の打ち所がないキラキラ女子ばかりだったからです。

そのキラキラしたメンバーの中に、暗い影を落としたくなかったし、片親になりかけているような自分はきっと居場所がなくなるだろう、と思い込んでいたのです。


私は本当にギリギリまで、人に親の病気を話すことができませんでした。同情もされたくなかったし、余計なアドバイスも受けたくなかったし、何より自分が惨めになりたくなかったからです。

「キラキラ」していることが私の心の拠り所だったんです。



でも、限界が来て、ある日友達に打ち明けました。誰も、見捨てたりなんかしなかった。かけて欲しくない言葉なんかより、かけて欲しかった言葉をたくさんたくさんくれました。

私1人が、その辺に転がった石ころを「キラキラ」だと思って必死に守っていたのです。


友達に打ち明けて初めて、母の病を心の底から受容しました。やっと、この治療法でいいのかと向き合い始めました。家族が機能不全を起こしていることに気付き、戦い始めました。

でも、もう手遅れでした。

私は残された時間すら知らされないまま、突然の別れを迎えました。その病気をちゃんと知っていたら全く突然なんかじゃないのに、何も知らずにまだまだ時間があると思っていた時点で、全然受容しきれてなかったという現実を突きつけられました。


結局、自分は母との最期に対する後悔と向き合い続ける人生を送っています。



つい先日、同じ「キラキラ女子」の仲間がお父様とお別れしました。その子はいつもポジティブで、その瞬間を前向きなものに変える力を持った子です。お父様の病がわかってから、その時を迎えるまで、あまり長い時間はありませんでしたが、「やり切った」と言える、しかも家族の絆が深まるかけがえのない時間を過ごしたことがよく分かりました。

もちろん、それぞれ悩みはあるし、人に言えない苦労もあるでしょう。だけど、彼女には負の面を隠すことなく人に伝える強さと、「負」を「キレイゴト」に変える力を持っています。

欲しいものはなんでも手に入れる彼女にとって、人に憐れみの目で見られることこそ最も許せないこと。だから、降りかかった全ての出来事を自慢の出来事にしてしまうのです。


ナチュラルマウント気質な彼女のことを苦手に思う場面もありますが、そのプライドの高さからくるポジティブパワーを見ると、彼女なら万一子供に障害があっても、それを自分の武器に変えてしまうだろう、と思います。



じゃあ、私は?

ネガティブパワーが強く、人を羨みやすく、自分を好きになれないけれど、自己憐憫の傾向がある私は、頭でっかちになるしかない、と思います。ある日突然訪れるかもしれない不幸を、「想定外」と思わなくてすむように、シミュレーションを重ねるわけです。

人様のブログを拝見するのも、高みの見物どころか、明日は我が身、という思いでケーススタディをしています。失礼極まりないかもしれません。本当にごめんなさい。


今、息子は1歳半を迎えようとしていますが、自閉症や発達障害の可能性は全く捨てられませんし、それ以外の様々な病気や怪我のリスクもあります。実際、NIPTでは分からなかった先天性の異常も少しありましたので、完全な健常児でもありませんから、何もかも他人事ではないと思っています。


だから、ある日「オランダへようこそ


」と言われたとしても、母の時のように、外ヅラを気にして大切なものを見過ごすような時間は過ごさないようにしたいと思います。

(この詩は正直あまり好きではないけれど)。



同情でも、興味本位でもなく、ただジブンゴトとして様々な可能性を考える。そのことがインクルーシヴの第一歩じゃないかなと思います。



もし下の子に何かあれば、娘が今の学校を卒業できる状態を維持しながら、南の国に移住します。

海外なら人目も気にならないし、娘は帰国子女にもなれるし!その上で、海外で学んだインクルーシヴ教育を日本に伝えるような仕事を手にして帰ってきたい。

そのための資金や仕事の方法などを、NIPT受けるまでの1ヶ月半ずっと考えていました。だって、私は中絶もしたくないし、娘の人生も犠牲にしたくないし、私の人生はまだまだこれからって思ってるから。


こういうことは、思考のトレーニングだから、一度考えてみれば、シチュエーションが変わっても応用が効くと思うので、とにかく何でも考えてみるクセをつけています。

ネガティブな自分の性格のせいで、本当面倒だけど、それでも「想定外」を減らすことしか私の心を平安に保つ良い方法がないから仕方ない。



なんかモヤモヤしてしまったので、なぐり書き状態で推敲もせず投稿します。

お見苦しいものをお見せしてたらごめんなさい。独り言でした。