2人目の妊娠が無事確認できてから、すぐに調べたこと、それがNIPTでした。
1人目の時は知識があまりなく、年齢的にも対象外だったことから、病院で尋ねたタイミングでは検査できる期間が残り1週間くらいしかないと言われ、断念。とにかく不安しかない妊娠期間でした。
産まれてからも「何か欠陥はないのだろうか…」と、娘の顔を疑いの目?で見てしまい、なんだかずっと心がソワソワしてしまったので、産前に続き産後もまたお花畑になりそびれてしまったことを後悔しています。
それ以上に、2人目ということは、上の子の人生にも関わることだから、「親としての最善を尽くす必要がある」と思ったのです。
ただ、この「親としての最善」という言葉は、「障害を知ったら諦める」という言葉とは、最後までイコールにはなりませんでした。
検査を受ける前、1時間以上、夫婦で資料を読み込み、先生のお話を伺い、話し合いの時間を頂きました。
もちろん私自身は、妊娠発覚から丸一ヶ月、ずっと調べ、考え続けていました。
この検査でどんな病気が分かり、どんな病気が分からないのか、もし陽性という反応が出たらどんなアクションを取るべきか、ずっとずっと考えました。
妊娠発覚から検査結果が出るまでの1ヶ月半、おそらく人生で一番重いテーマと向き合う時間だったと思います。
そうやって、自分の気持ちと向き合い、様々な背景を持つ方々の生活を垣間見て、上の子の将来のことも考えた結果、「結論は出ない」というのが、夫婦の答えでした。
でも私は、「親としての最善」というのはこの「本気で悩み、話し合った期間」のことだと思っています。
もしNIPTを受けなかったとして、後から、検査で分かったはずの障害を知ったとしたら、「なぜ受けなかったのか」と後悔するに決まっています。
上の子のために、最善を尽くしたと言えるのか?と自分に問いかけたとき、NOとなってしまうからです。
でも、何らかの決断を下すことになったとして、おそらく我が家は「諦める」という選択は出来なかっただろうと思います。
上の子のためにするべきは、「やれることはやる」であったけれど、一方でお腹に宿った子のためにするべきことは、「その子の生きたい気持ちを尊重することだ」と思ったからです。
先天的に生きる時間が短かったとしたら、余計に「パパとママとねぇねのお顔、そしてお空の青さをどうしても見たかったんだね」って、この腕で抱きしめてあげたい、と思いました。
もし、上の子のサポートが必要なくらい長生きをするとしたら…正直、こちらの結論は完全には出ませんでした。
だけど、じゃあ事故で介護が必要になったとしたら?産まれてからの病気は?と考えると、やっぱりいずれにしても運命として受け入れるという選択しかなかっただろうな、と思いました。
なので、散々悩んだ結果、産み分けに続き、私たち夫婦は運命論者だ、という結論しか出なかったわけですが、だからこそ、結果を見るのは本当に怖かった。。。いや、どんな結論だとしても本当に重くて重くて胸が押し潰されそうになる検査だと思います。
結果、
トリソミー、微小欠失症、遺伝子病的変異(100種類以上)、
全て陰性
安堵で涙が出ました。
そして、散々悩んで認可外で受けた最大の理由は、もちろん性別。
男児
ああ、、、
私、もう何も要らない。。
人生で最も幸せな瞬間でした![]()
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