という本を読んだ。
あまりにも娘に対して感情的に怒ってしまうから。
下の子を妊娠した時、
「娘を愛せなくなる」
と、確信に近い不安が押し寄せた。
私自身が1番上の長女で、母との関係がとても難しかったからだ。
その頃、娘は私の中で史上最高に可愛かった。
本気で親バカになることができた。
女の子産みたくないだなんて、誰が言った
みたいな、ハッピー全開のお花畑ママだった![]()
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でも、幸せの片隅で、この魔法はきっと解けてしまう、と思っていた。
悪い方に考えると引き寄せられてしまうから、と、考えないようにしたかったけど、無理だった。
妊娠中、カウンセリングに通った。
効果は長く続かず、案の定、下の子が産まれると、「上の子可愛くない症候群」というワードを何度も検索した。辛かった。
大好きでたまらなかったはずの小さくて可愛い娘が、突然大人に見えた。
「もう赤ちゃんじゃないでしょ!」
と突き放した。
新生児を守るための動物的な本能だったのだろう。3ヶ月ほどで少し落ち着いた。少しずつ上の子への可愛いという気持ちも取り戻すことができた。
でも…「幼児」に成長した娘は、もう歴とした「人」だ。親の言うなりじゃない。本人の意思があり、拙いながらも言葉で説明できるようになってきた。
そんな娘に対して、私は、
- 親の言うことは全部「はい」と聞きなさい
- 何度同じことを言わせるの
- ちゃんとして
- こんなこともできないなんて
- 意味わからない
- 無理、一緒に居たくない
と、書き出すと胸が痛くなるほどのひどい言葉を平気で投げつけるようになった。ここに書けない言葉も沢山ある。
「こんなこと言うなんて最低だ」と思えば思うほど、暴言が飛び出す。
児童相談所にも自ら、虐待をしそうだから助けて、と言った。(むしろ、もう虐待している、と言いたかった)
セミナーも受けた。誰かに叱って欲しかった。止めて欲しかった。
外面の良い私を、誰も叱ってくれない。
「お母さん、頑張ってますよ」
「たまにはお休みして良いんですよ」
褒めてくれる、慰めてくれる、ありがたい、ホッとする…
でも違うんだ!!
このままじゃ私は娘を壊してしまいそうなんだ!!
誰か、止めてー!!!
この本を読んで、初めて「アダルトチルドレン」の意味を知った。言葉は知っていたのに、自分には関係ない話だと思って一度も調べたことがなかった。
もしかしたら、関係がありそうだったからあえて見ないふりをしていたのかもしれない。
ああ、これは私だ。
私、カテゴライズしてもらえるんだ。
ただの性格が悪い人間じゃなかったんだ。
憑き物が落ちたような気がした。
傷ついた動物が、周囲に牙を剥き続けているのと同じように、私には触れられたくない心の傷が無数にあって、衝動的に「怒り」で身を守ろうとしていたんだ。
「怒り」を封印すると自分が自分でなくなりそうな不安も、人を支配したい衝動も、「親に愛されていないかもしれない恐怖」からきていたんだ。
心の中の、娘と同じくらいの私自身が、「もっと私をみて」「もっとギュッとして」「子供のままでいさせて」って叫んでるんだ。
娘に「ママ見て」って言われるとイラっとするのも、自分が叶えてもらえなかったことを求められているからなのだろう。
きっと、これからもイラッとするのは変えられない。
でも、そのイライラの傷の下にいる子供の頃の私は、娘と同じことを求めているんだよって思えたら、娘を通じて自分に言ってあげよう。
自分が母に言ってもらいたかった言葉を、出し惜しみするのをやめよう。
そうして、自分自身の傷を少しずつ労ってあげるようにしたら、自然と娘とも良い関係が築けるようになるだろう。
私は自分をちゃんと愛せるようになる。
自分のようになってほしくない、その気持ちが「娘を育てるのは難しい」と言う気持ちにつながっている。
娘を愛することは、自分を愛することだから。
「ママ、怒らないで」
怒る自分にも、怒らないで。
怒るあなたは、悪くない。
気質や性格の問題ではなくて、親の問題だったのだ、と、切り分けていい。
そんな風に理解すると、「怒る自分」を責めてどうにもならなくてまたイライラして…と言う悪循環から抜け出せそうな光が見えた。
生まれて初めて、自分を認められた気がした。
実母との関係がうまくいかないまま大人になったことに原因がある気はしていたけれど、何もかもを「親のせい」だなんて、いつまで自分は子供なのだろう、どれだけ親に甘えてるのだろうと、自分を責めた。