1月末に,親戚宅の改築祝いパーティに呼ばれた。自宅に招かれただけではなく、自慢の家を披露しているのだから,「色のセンスがいい!」とか「棚のデザインがモダンで素敵!」とほめまくった。私が絶賛している横で,別の親戚が「と言っても,ここは1,800スクエアフィート(約50坪)よ。うちは2,000(約56坪)だけど」と。また,別の親戚が飼い犬の動画を見せてくれて,私が「カワイイ!家も広々してて嬉しそうね」と言えば,またもや「この家は1,500スクエアフィート(約42坪)しかないの」だって!

 

何なのかしら…一体。そのご夫婦は,3年前に子ども達が皆独立し自分達も年を取ってきたため,平屋の一軒家に引っ越されたばかりなのである。大きい家の維持は大変で不要だって言ってなかったか?自らダウンサイズしたのに,何で競う!?居住空間が重要な価値観なら,庭なしの広いタウンハウスやコンドミニアムに引っ越した方が良かったんじゃないのかと思うが...。

 

いろんなアメリカ人に,豪華で広い家や昔住んでいた大きな家の写真を見せてもらうこともあり,期待に応えて精一杯ほめる。どうも,「うらやましくないのはおかしい」という視線を感じることもあるが,ホントにGood for you!であって,そこに住みたいという気持ちはない。その人にとってそれが最高の家であり,いくら自慢されてもうらやましくはないので...。

 

広さではなく,私が気になったのは廊下とバスルームの段差。床も全部張り替えたというのに,どうしてバリアフリーにしなかったのかなということ。これが一番大事だろう。 

 

家の大きさ=裕福さでもないし,ましてや,家の大きさでその人の価値が決まるわけじゃない。自分にとって住みやすく満足していればそれでいいのに,競ったりねたんだりして気が休まらないと思う。