うちに食事に来たアメリカ人二人と話をしていて,一人が「Yoriko(仮名)っていう日本人の知人がいるんだけど,彼女は英語を話さないのよ。夫から英語を話すなって言われているからですって」と。

 

びっくり。アメリカ在住でそんなことをいう人がいるというのに,ただただ驚き…。間違いが多いから,上達してから話せというもの!!ナンセンス!バカげている!一生話す日は来ない!どうやってアメリカで生活しているのか?とみんなで口々に言い合った。相手に誤解を与えたりするからと言いながらも,ホントのところは,妻本人ではなく夫が恥をかくのが嫌なんだろう。  

 

「英語は話せるようになってから話せ」。ピアノでいえば,紙鍵盤で上達してから音を出せといっているようなものだ。野球でいえば,ホームランが打てるようになってから打席に立てというもの。練習しているみっともないところは見せずに,突然現れた天才的なヒーローであれと。では,汚い字を平気で書いて披露しているあなたはそれでいいんですか,と問いたい。     

 

嗚呼,いまだに「英語は文法を正しく覚え,正しい発音をすれば,話せる。友達もできる」なんて思っている人がいるんだろうな。会話は独り言ではなく,相手とのコミュニケーションだ。相手の気持ちを察して声をかけたり,絶妙のタイミングでジョークを飛ばしたり,英会話どうのという以前に,それが会話。読み書き能力とは違う。

 

どうも日本人の場合,完璧主義者というか間違い(失敗)を許さない人が多いような気がする。完璧主義者なら学生時代のテストはすべて満点だったのですね,と嫌みの一つでも言いたくなる。バッチリメイクをしたり映える料理を作ったり車をピカピカに磨き上げたりとかが,完璧というものなのだろう(そういうのはどうでもいいけど)。

 

「あんな発音でよく堂々と英語をしゃべるよね」と笑うような知人は…無視しましょう。せっかくアメリカに住んでいるのに,視野も狭いままで機会損失もしていて,ただ残念。


渡米移住する時,先輩教員に手紙を頂いた。そこには「島国ではなく,大陸的な視野でモノを考えるようになるのですね」と書かれていた。アメリカで得られる最大のモノは,食べられるモノでも買えるモノでもなく,考え方。


「英語の発音で恥をかく日本人」よりも,「恥をかくことを恐れて英語を話さない日本人」の方が,はるかに不可解で笑いの対象になることに気づいていない。

 

大量の間違いしながら,何度も聞き返されながら,恥も存分にかきまくって少しずつ上達していくのが言語。そもそも,相手に伝えたいこととかわかって欲しいこととかないのだろうか?とっておきのジョークで笑わせたいとか,その犬の種類は何か聞きたいとか,お店で困っている人を助けたいとかないのか。

 

きっと自分の子どもには「間違いを恐れずにチャレンジしろ」と言っているに違いない。奥さんの英語が上達すれば,自信もついて社交的になりうつ的な気分からも抜け出せて,夫にも何らかのメリットがある。

 

失敗しても気にしない(笑わない・恥ずかしく思わない),失敗こそが上達への道だと喜ぶ姿勢でありたい。