トラ年...トラと言えば,中島敦の「山月記」。高校2年の現代文の教科書に載っていた有名な作品で,強烈な衝撃を受けた。大きな岩で頭をガツンと殴られたかのような...圧倒的な世界にただ茫然としたのを覚えている。

 

このようなジャンルの小説を読んだこともなかったが,何より国語(現代文・漢文・古文)の授業が熱かった。他の教科は何を言っているのかホントにサッパリ理解できなかったので,国語の時間にはホントに救われて...。ネンコちゃんと呼ばれていた現代国語の教師は,学年でも圧倒的な人気を誇り,読解のおもしろさを教えてくれた。


授業ではトラについての印象を問われ,私も含め生徒は皆怖い動物であると答えた。しかし,ただ一人,「何を言ってるの!トラは美しいでしょうが!」と声を荒げたクラスメイトが...。彼女の読解力はクラスでもずば抜けていて,そこから授業が大きく展開していったことを覚えている。

 

自分の読みや思考の浅さを知り,現代文の奥深さを知ることになったのが山月記。あの先生に教えてもらったことは宝である。単元の終わりには,カフカや安部公房の名前を知り,すぐに書店へ走った。手元にあるのはこの4冊。読み返してみようと思う。

高校では,クラスで読書会というのもあっていた。それは40人の生徒が同じ本を読み,司会者を立てて読解・討論するというもので,「高瀬舟」(森鴎外)等を読んだ。国語の授業の一環だったと思うが,この時間は楽しかった。

山月記も,手持ちの電子辞書に全文入っているが...紙で読み返したい。


大人になってからは,家族や友人間でもあの本読んだ?くらいの会話にとどまって,議論するという機会は全くなし。読みっぱなしだ。意見を交わすとすれば,テレビで見た時事問題とかばかり。最近だと,ネットで小説のあらすじも読解もざっと流して,読んだつもりになったり…ヒドイ。

 

夫とは一緒に本を読むけれど,向こうは英語で私は日本語の本…小説家の夫は深く議論したがる。如何せん私の英語力不足のため,翻訳された本で読み合うにとどまる。夫はよく,奥深く微妙なニュアンスを理解させることも理解することもできない私の英語力が,非常に残念だと言う。まぁその通りだが...うむ。パンデミックで人とも会えないので,我慢してもらうしかない。


ミシガンのこの近辺に,日本の小説を読んで討論するという読書グループはあるのか。だんだん,母国語できちんとものを考えることすらしなくなってきたような気がしてきて...。表面的なモノにとらわれて踊らされ,知ったつもりになってますます時代に流されていく自分...今後を想像すると恐ろしい。


読書会のようなものがもしあれば参加してみたいが,もちろん当分はムリ。3度目のワクチン接種をしていてもマスクをしていても感染しているから...。仕切り板などは気休めのようなもの。ワクチン接種者は重症化しにくいとは聞くが,知人らは咳や熱でかなり苦しんでいる。それに,誰とも会っていないと言いながら,結構みんな人に会っているし,大勢が集うところに出かけているし...。


ミシガンの感染者数は記録的な多さだ。友人らとも,3月頃に会おうという話をした。本を読んだりクラフトをやったりして,春を待ちたいと思う。