大学時代の友人(現在も公立小学校の教員)は,とても手厳しかった。

 
私から年賀状を受け取ると,「今年のは,手抜きだったね」とか「どうしたの。がっかりしたよ~」なんて言うのだから(笑)。
 
自分は毎年印刷した干支イラストの年賀状を送ってくるのに…どういうことか。
 
まあ,(後にも先にも)ここまでズバリと言ってくれる友人もいなかったから,非常にありがたい存在だった。それだけ,期待して楽しみにしてくれているという証拠。自分でも,今年の年賀状は駄作だという自覚があるとなおさらだ。
 
渡米後も数回手紙のやり取りをしていたが,今でもカードを作るたびにその友人の顔を思い出す。
 
自分の癒しのためだけにカード作りをする人もいると思うが,大抵の人はもっといいものを作りたいと思っているはず。ほめられたとか嬉しかったと言われたとしても,いい作品だったとは限らない。フォロワーやいいねは,「作品そのもの」としての純粋な評価ばかりではないだろうし。
 
パンデミック直前までアメリカ人にカード作りを教えていたが,講師も生徒も対等な関係である故に,まあよく批判されたものだ(笑)。ここは変だとかもっとこうすべきだとか,こうしろああしろとか言いたい放題。批判は当たり前だったのでいちいちへこんでいられないし,お陰で鍛えられた。私を育てもっといい講師にすれば,生徒さん自身もいいクラスが受講できる。単なるクレーマーじゃない。結果的にお互いのためになるのだ。「日本人だから〜なのね」とは一切見られていなかったし,「日本人だからしょうがないよね」と諦められたくもない。遠慮せず本音が聞ける,実りのある楽しい時間だった。 

教えてくれる人,ましてやもらっておきながら批判するというのは日本では考えにくい。しかし,成長するには厳しい批判とそれをバネにする精神力が必要だ。
 
半年後はクリスマス。手作りカードの集大成とも言えるイベントだ。他にはないカードであることはもちろん,数が必要になるので早めに考え始めたい。