最近はあまりないが,日本人として外国で様々な質問や誤解を受ける。

 

「空手はできるか」(日本人はみんなやると思っている),「お宅の主人は毎日寿司を食べられるからいいね」(冗談ではない),「あなたのそろばんと生徒の電卓ではどちらが速く計算できるか競争しよう」(ムリです),「帯の長さは何フィートか」(考えたこともなかった)…。

 

相手は「まさか!」と驚いたりがっかりしたりするけれど,こういった質問に「知らない」・「できない」と答えることに特に抵抗はない。慣れた。

 

しかし…

 

主人からは「(翻訳されているであろう)『Pride and Prejudice(高慢と偏見)』を読んだことがないなんて!Oliver Twist(オリバーツイスト)を読んだことも観たこともない?How come(何故)?」。トランシルバニア地方(ルーマニア)に住む主人の従弟からは「えっ,『蝶々夫人』のオペラを観たことがないの?」と呆れられた。谷崎潤一郎の「細雪」の映画DVD(1983年)を貸してくれたのはブラジル人であったし,芥川龍之介の「羅生門」のDVDはイラン人から借りた。「Passage To Freedom ~The Sugihara story~(杉原千畝)」の絵本を貸してくれたのは,日本生まれのブラジル人小学生!「菊次郎の夏」(北野武)のDVDは,イタリアのミラノに住む義姉の家で観た。

 

他にもまだまだ…各国で書かれた日本についての小説など聞いたことがないものも含めてどっさり。

 

「日本人なのに?」,「翻訳されているはずなのに?」こう言われるのはかなり,こたえる…。

 

主人の友人や義姉らからはたまに「最近,何を読んだ?」という質問があり,主人は「彼女は(皆が知らない)日本の本を読んでいるから」と慌ててフォローしてくれる。読書は生活の一部で,当たり前のことなのである。

 

最新(どころか古くても)のスマホやブランドバッグ,高級化粧品においしいレストランなどは知らなくても何とも思わない。思わなくなった。20代の頃(震災地域でのボランティア前・主人と出会う前)は最新のものや高級品,みんな持っているモノがいいと盲目的に思い込んでいた。当時は確かに好景気でもあり,物欲に拍車をかけていた。

 

新しいものの情報取集はノンストップであり,ずっと追い(買い)続けなければならない。それに費やす時間とお金といったら!金銭・スペースに限りがある現実と,物欲に終わりがないこと,(特に人に影響されて買ったモノについては)買っても満たされないこと,そして新しいものがいいものとは限らないこともわかってくる。何といっても,独身の頃には考えなかった「責任」が大きく占めるし,周囲のいろいろな事情も見えてくる。

 

しかし,誰しも少なからずそういう若い時代を経て大人になっていくのだと思う。

 

日本では流行(歌・俳優・スポーツ・スマホ・ファッション・料理・化粧品すべて!)に乗っていない人は,「変わった人」と見られるのだろうが,外国暮らしは全く気がラク。20年以上も前に買ったセーターがまだ健在である。


一方,文学や地理や歴史についての知識がないのは非常に恥ずかしい。華道や着付けなど先生について習ったりする日本文化ではなく,知識・教養として身に着けておくべきもののことだ。主人の親戚や友人らと会話していて「彼女は知識がないから簡単な話題に変えよう」と気を遣われたらと考えると,忸怩たるものがある…。

 

「最新のディズニー映画や日本のアニメに詳しくないと友人との会話についていけない」と思う人もいるだろう。しかし,母国の文学作品やその映画を知らないというのは教養やものの考え方に関わることだ。

 

「羅生門」は,大学受験のために断片的に教材としてしか読んだことがなかった。「細雪」については,ブラジル人から「Four sisters(四姉妹)の話よ!」といくら説明されてもわからなかった。英語の題も“The Makioka sisters(蒔岡姉妹)”であった。「杉原千畝」については,中島みゆきが音楽を手掛けてミュージカル化されていてそのCDも持っているというのに...すっかり頭から抜け落ちていてしまっていた…知識が浅いからに他ならない。

 

しばらく読書から遠ざかっていたが,今年は毎日少しずつでも必ず読むようにしたいと思う。1月は4冊読んだが,読むことを生活の一部にしないと…。