昨年11月頃だったか,主人が「Silenceという小説を知っているか」と聞いてきた。イエズス会の冊子に載っているというので見てみると,Shusaku Endoの名前があった。
「知っているも何も…」と私は本棚から遠藤周作の小説「沈黙」(昭和41年初版)を取り出して見せた。記事によればハリウッドで映画化されたという話だった。テレビでも繰り返しコマーシャルが流れている。
この小説を購入したのは,15年以上前。ある日曜日,年配の同僚教員が「長崎の歴史を知っておくべき」と同僚数名を連れてこの周辺を案内してくれた。海沿いの遠藤周作文学館(主人も日本の友人らと一緒にこの文学館を訪れたことがある)を訪れた後すぐ,「沈黙」を購入した。
しかし,ページは開いてはいなかった。・・・自分の生き方を否定したり強烈な虚脱感にさいなまれたりすることを恐れていたから。
これから観る人のために,小説や映画の内容の詳細は書かない。
上演時間は161分(2時間41分)で,R指定(17歳未満は保護者同伴)だ。日曜の午前中という,キリスト教徒が教会に行く時間帯であるにも関わらず,かなりの観客がいた。
アメリカで観る場合,小説を読んでいない・英語が全くわからない・キリスト教やその歴史に全く関心がない・・・のであれば理解は難しいだろうが,(恐らくクリスチャンである)アメリカ人観客に混じって観るということだけでも意味があると思う。
「残忍な映画を観たり本を読んだりする人は,そういうことに関心のある人だ」,「そんなの知らなくても生きていける」などと言われたことがあるので,個々には理解してもらえると思う人,または私をよく知る人にしか勧めない。しかし,小説を是非読みたいという方がいらしたら,もちろんお貸ししたい。難解な文章ではないが,ところどころクリスチャン用語や聞き慣れない言葉も出てくる。
私は長崎出身だ。物語の舞台もキリスト教が禁止されている時代の長崎。物語には実在の地名や歴史的名所になっているところも出てくるし,方言も多用されている。長崎出身の方には,より心の奥深くに染み込む作品だろう。
先日のオバマ大統領の退任演説の中に,強烈な言葉があった。「人は真実かどうかではなく,自分に都合のいい情報だけを受け入れることに心地よさを覚えるようになる。自らの意見を根拠に基づくことなく」(And increasingly, we become so secure in our bubbles that we start accepting only information, whether it's true or not, that fits our opinions, instead of basing our opinions on the evidence that is out there.)。
偽のニュースや他人の意見を鵜呑みにして妄信することが危険だと言っていることに,はっとした。これは何も選挙戦に限ったことではなく,日常的にすべての人に当てはまる。情報は簡単に,クリック一つで手に入る時代だ。忙しい人,自分の意見を持っていない人にはよかろう。機械的な操作法を知れば手っ取り早くお得な情報も入手できるが,それは物質的な得のこと。精神的に得かではない。ネットの感想のコピーではなく,小説や映画から直接感じ考えることが大事だと思う。
嫌なことや不都合なことを知りたくない,楽しいことだけ知りたいのは当然かもしれないが,果たしてそれでいいのか・・・。
もう一度小説を読み返してみようと思う。