今年の抱負…というものを年頭に述べる人は多いが,年末に抱負を振り返るということはしないのではないか。ましてや,6月ごろに中間報告として進捗状況を発表し評価するなんてことはなかろう。

 

というのは抱負と目標は意味が異なるから。広辞苑によると「抱負:心中に抱き持っている計画や決意」,「目標:目的を達成するために設けためあて」とある。まあ,これをしっかり区別して使っている人はあまりいないと思われるが,抱負はゴールを設定しない,願望のこと。

 

年が明けて間もない日,カーラジオから流れてきたのは「2月の第2週までに,80%(のアメリカ人?)が今年の抱負をギブアップする」という出ばなをくじくようなコメント。2月の2週目といえば,関係ないがバレンタインデー。バレンタインデーは「自らの抱負に背を向けた人」がチョコで元気をもらうということか(笑)。

 

抱負や目標もゆる~いものにすれば継続する(したことになる)ので,「なるべく」や「できるだけ」,「マイペースで」という表現にしておけばいい(笑)。「なるべく」というのは「できることならば」だからできなかったら,まあそういうこともあろうという意味。

 

最もよい(?)のは,「~をがんばる」というかなりあいまいな抱負や目標。例えば「英語をがんばる」というのは,「単語を一日5つ覚える」のような数値などの具体性がないため,人のための建前抱負(目標)としては,最適だ。って何がよいかというと,がんばり具合が見えないために周囲から非難されることがないから(笑)。

 

「自分のための本気の抱負」であっても,「英語をがんばる」ではがんばりの度合いを計るのは難しい。年末には,「がんばったと言えばがんばったような気もするけれど,もう少しできたかも…」と,不完全燃焼さを味わうことになる。でも,あくまで抱負は抱負であり,まあ元旦から自己に厳しくして深刻になるのもナンだから,「~をがんばる♪」くらいでいいのかも。周囲も「ふーん,がんばってね♪」くらいの軽い反応にとどめて,聞き流しておく。

 

小学校教員をしていた頃に,児童に抱負・目標(新年度の4月・新年の1月)を書かせていた。「勉強をがんばる」や「国語をがんばる」のようなものではなく,「漢字テストで100点を取る」や「なわとびで二重跳びができるようになる」などのように目指すゴールを明確にさせ,毎月振り返らせていた。

 

大人の場合,人目を気にした抱負や目標ではそもそも社会では通用しないし,自分が満足する大きな目的達成ができない。何かを習得したいなら,教室やコースに一括で費用を払い,強制するのが一番だと思う。

 

私が英会話を始めたのは20代後半だった。大学の専門は英語ではなく,My name is ~. I live in ~.を頭の中で繰り返し練習してようやく話せるひどいレベル。外国人を見たらできるだけ近づかないようにしていたし,英語に対するコンプレックスが強かった。しかしアメリカでホームステイをしたいという気持ちは漠然とあったので,年明けに英会話教室のドアを叩き,週2回1年分のレッスン代を現金一括で払った。一日も休まず通い,その夏にはボストンでの3週間のホームステイが実現した。

 

私は,自分がすぐにラクな方に流れ,「仕事が忙しいから」とか「大人になって始めたから身に着かない」いう言い訳も用意しているのをよーくわかっていたし,それではいけないと思っていた。週に1回ではなく2回行くことで,英語を優先順位第一位にした。いかなる理由だろうが休めば,返金や変更などは一切ないという契約内容。自分の稼いだお金で一括払いする,これくらい厳しくしないと自分をすぐ甘やかして辞めてしまうというのはわかっていた。

 

世の中にはごくまれに天才もいるのであろうが,普通は何事もかなりの時間と費用,そして忍耐を要する。勉強はいつだって始められると思うかもしれないが,年を重ねるとそれは大きな間違いだとわかる。外国旅行も,大学生の頃は「旅費さえあれば」という一条件であったが,「まとまった休み」,「健康・体力」,「気力」,そして「周囲の理解(健康)」などいろいろな条件が必要になってくる。

 

習い事も一度やめれば,再開するのは困難だ。うまくできる人を見て,「私も続けていればあれだけバイオリンがうまく弾けたはず」と言う人がいるかもしれないが,聞いていて恥ずかしくなる…「根気よく続ける」ことが一番難しいからだ。

 

大人でも子どもでも,すぐに新しいものに飛びついたりせず,粘り強く続けることが大事。

 

…以上。漠然と,「今日も(半日終わったが)がんばろう」と口にしてみたりする(笑)。