この時期になると,「サンタクロースを何歳まで信じるか」という話題が多くなるかもしれない。自分が子どもだった頃の話やわが子についての話。

 

 

…幸せなことであるとつくづく思う。

 

シリアで平和に暮らしていたのに,isis(イスラム過激派組織)によって突然街を破壊され,国を追われて難民になってしまう子ども達も大勢いる。それまでは毎年サンタクロースにプレゼントをもらっていたのに,異国の地の難民キャンプに収容されるようになってからはプレゼントは届かない。

 

「サンタは,いい子にしている子どものところに来る」。

 

では,難民になった子は悪い子なのか,ということになるだろう。

 

裕福な家の子はプレゼントも豪華だろうし,プレゼントやサンタさんへのクッキー&ミルクの置き方など,演出に余念がない親もいるだろう。一方で,最初からサンタなどいないと教えられる子もいるし,貧しくなったとたんにサンタさんが来なくなることもある。サンタさんまでもが,差別…?

 

クリスマスは,どの子にも等しく分け与えるべきものであると思う。苦しみを背負う子ども達にこそ,希望が必要。持っている少ないものからさらに少しを分けられる,そんな精神を育てる時期であって欲しい。

 

うちは人に贈り物を送っても,お返しのようなものは要らないからと念を押す。贈り物をもらって嬉しいという気持ちは,うちにではなくもっと助けを必要としている他の方々にして欲しいから。シリア人や自然災害などで家や故郷を失った人々が世の中にどれだけいるのか考え,感謝して過ごすべきだとうちではよく話す。

 

「雨露しのげる家があって(We have a roof over our head),明日食べる米(パン)がある」,これがどんなにありがたいことか…!

 

日本におけるクリスマスは恋人同士豪華に過ごすためのものであったが,今もそうであろう。恋人がいない場合などは友人らと,幼い子どもは家族とパーティをする。互いに贈り合うプレゼントやごちそうのことしか考えず,決して貧しい人のことなどを考えることはなかったし,今の生活に感謝するという発想もなかった。

 

昨年の記事「ホリデーシーズン・スピリット」(2015年12月15日)にも書いたが,特に,クリスマスには強く思う。