I can see.の意味と思える上記3つのうち正しいのはどれかというと,「見られる」ですね。
時代の変化なのか世代の違いなのか,それとも外国在住という自分の周囲の環境の変化なのかわかりませんが,驚くことに「見れる」が圧倒的に多い…。話し言葉として使われていたものが,ブログなどで書き言葉にも使われるようになって一気に広まってきたのではと思います。
「ら抜き言葉」としてその代表的なもの「見れる・食べれる」は間違いであると言っていたのは,もう遠い昔のことなのかもしれません。
「れる・られる」には,「可能・尊敬・受け身・自発」の4つの意味があるので,「ら抜き言葉」を「可能」に限定して使うことで意味の混乱を避けるという考え方もあるでしょう…しかし,一般的にそこまで考えて使っているとは思いにくい…。
テレビのインタビューなどで「パンダが見れてうれしかった」等というコメントがあれば,字幕には「見られて」と正しく表示されます。「ああ,まだ『見られる』が正しいのだ」と,ほっとします。こういう訂正がされなくなる日もくるだろうとは思いつつ,やはり大きな違和感があるのが「ら抜き言葉」。
日本人は文法として学ばなくても使いこなせるはずですが,周囲が皆口にしていたり本(雑誌ではない)をあまり読まなかったりすると,間違って使ってしまうと思います。
もしかしたら「ら抜き」は,かわいい印象を与えるのでわざと使っているという人もいるかもしれません。「パンダが見れちゃう」のような言い方はよく聞くけれど,「パンダが見られちゃう」には違和感を覚える人もいるかも…。「パンダに見られちゃう」の間違いかなと思われる可能性もある。それに,「ちゃう」のようなゆるい話し言葉には,「見れる」(誤)がしっくりきますかね…。
「見る」・「食べる」のような使用頻度の高い動詞は,尊敬語(ご覧になる・召し上がる)・謙譲語(拝見する・頂く)が存在しています。
「先生がケーキを食べられた」と言うことはあまりなく,「召し上がる」を使う。「自発」の意味はないことから,「食べられる」は受け身・可能の意味になりますが,「ウサギがライオンに食べられた」のようにやはり受け身のニュアンスが強い言葉だと思います。「食べられる」には猛獣が大きな口を開けてがばっと襲いかかってくるようなイメージがあるので,可能には「食べれる」でソフトな音にしているのか…いやいや,そこまで個人レベルで考えて使っているとは思えない。
文法的に許容される日もくるだろうとは思いますが,それでも正しい日本語を使いたいものです。
動詞を可能(Canの意味)にするには「れる・られる」をつけますが,「五段活用」のような文法的な決まりで考えると頭が痛くなるかもしれないので,ポイントは「必ずA(ア)の音を入れる」と覚えておけば間違いなし!
「見る」(miru)→ ○ 「見られる」(mirareru) ×「見れる」(mireru)
「食べる」(teberu)→ ○「食べられる」(taberareru) ×「食べれる」(tabereru)
そうすると,「見つける」の可能は,正しくは「見つけられる」ということがわかります。「見つけれる」ではない。
そして,「あげる」の可能は「あげれる」ではなく「あげられる」です。
特に否定の「ない」が付くときに「ら抜き」は起こりやすいですね。「見れない」・「食べれない」など注意が必要です。「見れず残念」や「お腹がいっぱいで食べれず」などでよく目にするかもしれません。
外国人で日本語を学ぶ中・上級者の生徒さんは文法から入っているからか,間違いがなく正しく使えています。プリントで「れる・られる」の作り方をまとめて集中的に練習します。
「見れれる」というのも聞いたことがあります。「見る」が「見れる」(正:見られる)になり,さらに「れる」がつき,可能と思われる意味が2つつながっている…うーん。英語でいうと,I can be able to see(見ることができることができる)という誤りになるのですよ…。
間違いを避けたいならば,長くなるけれどいっそのこと「~することができる」にするのがよいと思います。「食べれる」というくらいなら「食べることができる」の方が断然よい。
次回は,可能動詞と「れる・られる」について書いてみたいと思います。
時代の変化なのか世代の違いなのか,それとも外国在住という自分の周囲の環境の変化なのかわかりませんが,驚くことに「見れる」が圧倒的に多い…。話し言葉として使われていたものが,ブログなどで書き言葉にも使われるようになって一気に広まってきたのではと思います。
「ら抜き言葉」としてその代表的なもの「見れる・食べれる」は間違いであると言っていたのは,もう遠い昔のことなのかもしれません。
「れる・られる」には,「可能・尊敬・受け身・自発」の4つの意味があるので,「ら抜き言葉」を「可能」に限定して使うことで意味の混乱を避けるという考え方もあるでしょう…しかし,一般的にそこまで考えて使っているとは思いにくい…。
テレビのインタビューなどで「パンダが見れてうれしかった」等というコメントがあれば,字幕には「見られて」と正しく表示されます。「ああ,まだ『見られる』が正しいのだ」と,ほっとします。こういう訂正がされなくなる日もくるだろうとは思いつつ,やはり大きな違和感があるのが「ら抜き言葉」。
日本人は文法として学ばなくても使いこなせるはずですが,周囲が皆口にしていたり本(雑誌ではない)をあまり読まなかったりすると,間違って使ってしまうと思います。
もしかしたら「ら抜き」は,かわいい印象を与えるのでわざと使っているという人もいるかもしれません。「パンダが見れちゃう」のような言い方はよく聞くけれど,「パンダが見られちゃう」には違和感を覚える人もいるかも…。「パンダに見られちゃう」の間違いかなと思われる可能性もある。それに,「ちゃう」のようなゆるい話し言葉には,「見れる」(誤)がしっくりきますかね…。
「見る」・「食べる」のような使用頻度の高い動詞は,尊敬語(ご覧になる・召し上がる)・謙譲語(拝見する・頂く)が存在しています。
「先生がケーキを食べられた」と言うことはあまりなく,「召し上がる」を使う。「自発」の意味はないことから,「食べられる」は受け身・可能の意味になりますが,「ウサギがライオンに食べられた」のようにやはり受け身のニュアンスが強い言葉だと思います。「食べられる」には猛獣が大きな口を開けてがばっと襲いかかってくるようなイメージがあるので,可能には「食べれる」でソフトな音にしているのか…いやいや,そこまで個人レベルで考えて使っているとは思えない。
文法的に許容される日もくるだろうとは思いますが,それでも正しい日本語を使いたいものです。
動詞を可能(Canの意味)にするには「れる・られる」をつけますが,「五段活用」のような文法的な決まりで考えると頭が痛くなるかもしれないので,ポイントは「必ずA(ア)の音を入れる」と覚えておけば間違いなし!
「見る」(miru)→ ○ 「見られる」(mirareru) ×「見れる」(mireru)
「食べる」(teberu)→ ○「食べられる」(taberareru) ×「食べれる」(tabereru)
そうすると,「見つける」の可能は,正しくは「見つけられる」ということがわかります。「見つけれる」ではない。
そして,「あげる」の可能は「あげれる」ではなく「あげられる」です。
特に否定の「ない」が付くときに「ら抜き」は起こりやすいですね。「見れない」・「食べれない」など注意が必要です。「見れず残念」や「お腹がいっぱいで食べれず」などでよく目にするかもしれません。
外国人で日本語を学ぶ中・上級者の生徒さんは文法から入っているからか,間違いがなく正しく使えています。プリントで「れる・られる」の作り方をまとめて集中的に練習します。
「見れれる」というのも聞いたことがあります。「見る」が「見れる」(正:見られる)になり,さらに「れる」がつき,可能と思われる意味が2つつながっている…うーん。英語でいうと,I can be able to see(見ることができることができる)という誤りになるのですよ…。
間違いを避けたいならば,長くなるけれどいっそのこと「~することができる」にするのがよいと思います。「食べれる」というくらいなら「食べることができる」の方が断然よい。
次回は,可能動詞と「れる・られる」について書いてみたいと思います。