英語では,自己紹介をする時によく“My name is Thomas Smith. Call me Tom./Call me Mr.Smith.”(名前は,トーマス・スミスです。トムと呼んで/ミスター・スミスと呼んで)等と自分が呼んで欲しい呼び方を教えます。部下に短縮形の愛称で呼んでくれというのは日本ではありえませんが,教育長であろうが社長であろうが対等や親しみやすさを重んじるアメリカでは珍しいことではありません。

Mr.(~さん)などの敬称は英語ではタイトルと言いますが,このように自分自身について「スミスさんと呼んで」のように使えます。ですから,外国人はよくメールの最後に,「スミスさんより」と自分に敬称をつけてしまうのですね。

さて,話を戻して…

第一,「私をこう呼んで欲しい」と希望を伝えるという感覚は日本にはなかったので,これを知った時本当に驚きました。日本では,自分がどう呼ばれるかは他人が決めることであり,誰にでも嫌なあだ名の1つや2つはあったのではないか。アメリカでは,この苦痛から解放されているのか!

トーマスがトム,エリザベスがべスやベティ,ウィリアムがビル…アメリカ人のニックネームは決まったものが多く通称として使っています。前大統領のビル・クリントンも,本名はウィリアム・クリントンですから。

日本名でいうと,悦子ちゃんがえっちゃん,信一郎君はしんちゃんといったところでしょう。名前をちょっと短くしたニックネームは愛が感じられる呼び方で,文字通り愛称。

いじめなどの原因の1つは,名前の呼ばれ方にもあると思います。日本での同級生や同僚などを思い出してみれば,随分気の毒なあだ名がついていた人もいました。名前の一部からとったものではなく,顔や体型などの容姿,性格や(ちょっと油断した際の)言動や所持品等でもつくのですからたまったものではありません。卒業文集などにも印刷されていて,ホント,親御さんにしてみればどういう思いで見ていらしたのか…。

話はややそれますが,「日本語には,英語のように人を罵る汚い言葉が少ない」と言われています。しかし,顔や体型に髪などの容姿,年齢など個人を攻撃する言葉で罵ることが多いので,より陰湿だと思います。

日本人は人を「~系」や「~キャラ」などカテゴリーに当てはめる傾向があり,いったん「ドジキャラ」とされれば常にネタにされ,そこから抜け出すのは困難でしょう。

あだ名は,進学したり就職したり異なる環境下におかれることによって新たなものに変わります。そして,一度ついてしまえばあっという間に広がってしまう。ましてや,多様な名前のある今の時代ですから,あだ名も本当に様々だろうと推測できます。

日本の学校の自己紹介において,「私の名前は,森田恵理子です。エリと呼んで下さい。/森田さんと呼んで下さい」等と言うと,皆びっくりするでしょう。

社会に出れば,「俺は上司だから,森田と呼び捨てにするぞ」という人もいれば,「先輩だから森田先輩と呼ぶべきだ」や「親しみを込めてエリちゃんと呼びたい」人もいる。日本では立場や年齢において呼び方や敬語も変わってくるので,あだ名ではなくとも呼称が山のように存在します。一方,アメリカではお姉さんの名前がジェシカならば,弟もジェシカと呼び捨てにします。

「呼ばれ方を指定(命令)するなんて横柄な態度!」と思われるので,新社会人であったり目上の人に対したりしては,難しいというか無理なものでしょう…。

自分の名前の森田(仮名)を「モリモリッチ」とか「モッさん」とか呼ばれたらイヤなのですが…あきらめるしかないとしか言えません。

年功序列の時代は終わり,年下が上司になることやその逆も多いのが現在。大学の先輩が後から入社してきた場合,「~先輩」と呼びたくなるでしょう。呼び方が1種類ならば,どんなに気が楽なことだろう…!

英語では,「~さん」のように男女共通の敬称はありません。Mrs.やMr.,Ms.にMissなど既婚や男女の別,そしてDr.など博士号の有無と区別するために,呼ばれ方を教えてあげるのが相手にとっても親切なのですから,言語上の問題ともいえます。 

日本でも,実際何と呼んでいいかわからない人もいますし,相手とのいい人間関係を築きたいと思えば,「こんな風に呼んで欲しい」と確認し合うのが一番安心です。嫌なあだ名で呼ばれ続けるのはつらくストレスになるので,日本の学校の自己紹介などでも「こう呼んで欲しい」と自分の希望を伝えることができればいいと思います。