アメリカの学校で言えば,年度末の6月も贈り物の季節かもしれませんが,クリスマスはもちろんすべての人にとって贈り物のシーズン。
主人(現地校の教員)とは,日本人の文化的な背景や行動の傾向についてもよく話をします。今日は,「ギフト(ギフトカード)と日本人」というテーマで書いてみたいと思います。
日本には贈り物文化が根付いていますので,アメリカ在住の日本人もそうかもしれません。日本ではかわいい文具,贈答用のお菓子,バッグにつける小物やかわいいポーチなど,ギフトになる商品はありとあらゆるところで買え,無料でラッピングまでしてもらえます。
近所の紳士服専門店で日本の弟向けにネクタイを買って箱はないか聞いたところ,「クリスマスにしかギフト箱はない」と言われました。あったのは,普通の買い物用の袋のみでした…。
私も日本に一時帰国すれば大量のお土産を買ってきます。自分自身の贈答意欲を満たしたいために贈り物をすることも多々ありますから,あげた方から「えっ,何故?(誕生日でもないのに?)」と驚きの顔をされることもあります。ですから,相手が遠慮しないようにという意味も込めて,「日本人には贈答の文化があるので,どうかお受け取りを」と理由付けをしてから隣人や職場関係にはお土産を渡しています。
まあ…本当のところは,渡す物がないとどうも会話において手持無沙汰というか,「(日本にはお土産文化があるのを知っているはずだから)期待されているのではないか」,「これを自分用に買ったと言っているのに,人には何もあげないのはケチというものではないか」等と思われていると余計なことを考えてしまうから。
…ホント,いちいちこのようなことを考えるところが,いかにも日本人的な思考でしょう…。主人に話せば,「アメリカ人はそんなことは思っていない」と呆れていますし,実際そうなのだと頭ではわかりつつもこれはもう体に染み付いている意識。日本における贈答にはお返し等が必要なのでそこも神経を使いますが,まあその話はまたいずれ書きます。
現地の学校では日頃お世話になっているからというよりむしろ,親子の英語力不足や至らない点をカバーするためや,他の日本人があげているからという理由でギフトカードを贈っているフシがあるように思います。
ギフトカードというのは,店ごとに出ている商品券で,クレジットカード大のプラスチック製のカードのこと。
アメリカの現地の学校によっては,日本人同士で金額・どの先生に・何年生まであげるか等細かく決まっていたりするかもしれませんね…。
「ギフトカードを先生やバスの運転手に贈ることになっている」というのは,日本人社会の中での話でしょう。これは,長年ミシガン州の現地校(大学・高校・中学校・教育委員会)に携わってきている主人が断言しています。
日本人にとって,学年末はお中元でクリスマスはお歳暮のようなものかもしれません。
慣習には慣習のよい面もあります。「バレンタインには男性にチョコレートを贈るものだ」や「年末には大掃除をする」といった慣習が,「別にチョコレートはあげなくてもいいし」や「大掃除はしなくても年は越せるし」と思い始めれば,だらだら生活まっしぐらだし,「あの人,何かポリシーでもあるのかね」といぶかしがられるかもしれない…。チョコレートをあげることで職場の人間関係が円滑になることもあり,こういう機会を利用することで気持ちを形にして日頃の感謝を伝えることもできます。また,私的な贈り物でその人の違った一面を見ることもできますので,人間的な距離感が近まり,印象づけることは大いにあります。
何事も慣例になってしまっては,贈る方も贈られる方も本来の感謝の意味が薄れてしまうと思いますが,現実問題として慣例を断ち切るというのもなかなか勇気のいることですので,あまり深く考えない方がいいのかもしれませんね…。他の日本人が贈っているのを見たり聞いたりすると,右にならっておくのがよいと思うのは仕方がないことでしょう。
手書きのカードを添えて,普段は口にしない感謝の言葉や自分らしさが出る言葉があればいいと思います。
それでは,日本人を除く生徒さんはあげるとしたらどういうギフトなのかというと,ホームメードのクッキーや市販のチョコレートなどが多いようです。
ちなみにうちでは,クリスマスには友達にギフトカードを贈ります。今年は,学校の教室の掃除をしてくれる方にも贈るつもりです。見える(会う)人に感謝の気持ち・物を贈るのは誰でもすることです。「感謝」について考えるこの時期,普段は見えないところでお世話になっている方に感謝することが大切だと思っています。
主人(現地校の教員)とは,日本人の文化的な背景や行動の傾向についてもよく話をします。今日は,「ギフト(ギフトカード)と日本人」というテーマで書いてみたいと思います。
日本には贈り物文化が根付いていますので,アメリカ在住の日本人もそうかもしれません。日本ではかわいい文具,贈答用のお菓子,バッグにつける小物やかわいいポーチなど,ギフトになる商品はありとあらゆるところで買え,無料でラッピングまでしてもらえます。
近所の紳士服専門店で日本の弟向けにネクタイを買って箱はないか聞いたところ,「クリスマスにしかギフト箱はない」と言われました。あったのは,普通の買い物用の袋のみでした…。
私も日本に一時帰国すれば大量のお土産を買ってきます。自分自身の贈答意欲を満たしたいために贈り物をすることも多々ありますから,あげた方から「えっ,何故?(誕生日でもないのに?)」と驚きの顔をされることもあります。ですから,相手が遠慮しないようにという意味も込めて,「日本人には贈答の文化があるので,どうかお受け取りを」と理由付けをしてから隣人や職場関係にはお土産を渡しています。
まあ…本当のところは,渡す物がないとどうも会話において手持無沙汰というか,「(日本にはお土産文化があるのを知っているはずだから)期待されているのではないか」,「これを自分用に買ったと言っているのに,人には何もあげないのはケチというものではないか」等と思われていると余計なことを考えてしまうから。
…ホント,いちいちこのようなことを考えるところが,いかにも日本人的な思考でしょう…。主人に話せば,「アメリカ人はそんなことは思っていない」と呆れていますし,実際そうなのだと頭ではわかりつつもこれはもう体に染み付いている意識。日本における贈答にはお返し等が必要なのでそこも神経を使いますが,まあその話はまたいずれ書きます。
現地の学校では日頃お世話になっているからというよりむしろ,親子の英語力不足や至らない点をカバーするためや,他の日本人があげているからという理由でギフトカードを贈っているフシがあるように思います。
ギフトカードというのは,店ごとに出ている商品券で,クレジットカード大のプラスチック製のカードのこと。
アメリカの現地の学校によっては,日本人同士で金額・どの先生に・何年生まであげるか等細かく決まっていたりするかもしれませんね…。
「ギフトカードを先生やバスの運転手に贈ることになっている」というのは,日本人社会の中での話でしょう。これは,長年ミシガン州の現地校(大学・高校・中学校・教育委員会)に携わってきている主人が断言しています。
日本人にとって,学年末はお中元でクリスマスはお歳暮のようなものかもしれません。
慣習には慣習のよい面もあります。「バレンタインには男性にチョコレートを贈るものだ」や「年末には大掃除をする」といった慣習が,「別にチョコレートはあげなくてもいいし」や「大掃除はしなくても年は越せるし」と思い始めれば,だらだら生活まっしぐらだし,「あの人,何かポリシーでもあるのかね」といぶかしがられるかもしれない…。チョコレートをあげることで職場の人間関係が円滑になることもあり,こういう機会を利用することで気持ちを形にして日頃の感謝を伝えることもできます。また,私的な贈り物でその人の違った一面を見ることもできますので,人間的な距離感が近まり,印象づけることは大いにあります。
何事も慣例になってしまっては,贈る方も贈られる方も本来の感謝の意味が薄れてしまうと思いますが,現実問題として慣例を断ち切るというのもなかなか勇気のいることですので,あまり深く考えない方がいいのかもしれませんね…。他の日本人が贈っているのを見たり聞いたりすると,右にならっておくのがよいと思うのは仕方がないことでしょう。
手書きのカードを添えて,普段は口にしない感謝の言葉や自分らしさが出る言葉があればいいと思います。
それでは,日本人を除く生徒さんはあげるとしたらどういうギフトなのかというと,ホームメードのクッキーや市販のチョコレートなどが多いようです。
ちなみにうちでは,クリスマスには友達にギフトカードを贈ります。今年は,学校の教室の掃除をしてくれる方にも贈るつもりです。見える(会う)人に感謝の気持ち・物を贈るのは誰でもすることです。「感謝」について考えるこの時期,普段は見えないところでお世話になっている方に感謝することが大切だと思っています。