出張でアメリカに来ていた時のこと。毎朝サンドイッチを作ってお弁当に持参していました。

ところが,同じグループで来ていた日本人男性の昼食は,毎日リンゴ1個。

「どうしてなの」と聞くと,「冷蔵庫が開けられないから」自分で作れないというのが彼の答え…!

アメリカでホームステイをすれば,ホストファミリーが「冷蔵庫の中のものは自由に食べてよい」と言ってくれます。裏を返せば,「自分で食べる物は自分で準備してね」ということです。しかし,日本人にとってこの壁(ドアですが)は実に高い!

まず,「本当に開けていいのか。実は社交辞令ではないか。『お近くにいらした際は是非お立ち寄り下さい』という引っ越し通知のようなもので,実際に行ったらびっくりされるのでは」と危惧する。

そして,仮にちらっと開けてみたとして「どう考えても,このチョコレートはあの子どもの物。食べたら大変なことになるだろう。そう考えると,このジュースもそうだ。それに,このハムは夕食用に買ってあるものかもしれない。高そうだし…。そもそもこれは何?」。あれこれ考えた結果,トラブルになるくらいなら食べないのがベスト,という悲しい結論になるのです。

何とかしてあげたいと思ったけれど,彼は「大丈夫だから」と言うので何も手伝えませんでした。そして1か月間,彼の昼食はリンゴ一個でした。

この壁は,自分で乗り越えるしかないのです。ホームステイは,お客さんというより家族の一員として生活するというとは頭ではわかっているから…わかっていることをできることに変える,そこが一番難しいのですが。

日本での場合を考えてみると…うちの実家で,兄弟姉妹の配偶者または叔父伯母らとその配偶者が,冷蔵庫を開けることはありません。同居していない者は普通開けることはないですね。

うちの主人が数週間滞在した時も,それについては考えたことがなかった。ある夏の暑い日,主人一人に留守番を頼み外出先から戻ってきたら,シンクに野菜ジュースの空き缶が1つ。飲んでいた冷水がなくなったので,冷蔵庫から出して飲んだという。

主人は「自分のことは自分でした!」・「リラックスして過ごしている!」という意識で,日本の家族は「人の家の冷蔵庫を開けた」という予想外の行動にびっくり。非難とかではなく,ただびっくり。同居していない姉も「へえー冷蔵庫を」と驚いていた。

確かに自由に開けていいのですが,古い感覚でしょうか,日本では違和感があります。アメリカでは“Feel free”(気兼ねなく)や“Feel at Home”(自宅にいるみたいに)自由にしてと言われ,それが最大のもてなしです。客側も,リラックスしていることを示して見せるのがホストへの期待に応えることであります。初めていらしたお客さんが長居してくれたり,ソファでゆったりして映画など見ていらっしゃると,ホストとして嬉しくなるものです。

日本(日本人どうし)では友人宅などで一緒に料理をする際でも,冷蔵庫を開けるのは家主でしょう。冷蔵庫の管理者は,その家の主婦であるのが普通。

日本人にとって冷蔵庫は,非常にプライベートなものです。寝室に匹敵するかそれ以上。冷蔵庫は,単にきれいに整頓されているか否かの問題ではない。

「こんな安い(変な・不健康な・子どもっぽい)物を食べてるんだ」や「こんな物を取っておいて」という評価をされることへの恐れがあるでしょう。

「食べる」という行為そのものが,本能行為です。その人の体を作る食べ物が入っている。冷蔵庫の中は生活そのもので,きれいな枕やクッションを並べて飾るようなこともできない,プライベート感丸出しの場所です。

アメリカでは,初めて行くお宅では「ハウスツアー」をしてくれることが多く,家じゅうの部屋を見せてくれます。夫婦の寝室やバスルーム,ウォークインクローゼットなど全て。地下はどうなっているのか見せてと言えば,喜んで案内してくれます。他人に自宅の物を見せることへの敷居が低く,評価などは気にしていないからでしょう。

この冷蔵庫の話をアメリカ人にすると,「へええ~,日本人って冷蔵庫にそういう感覚を持ってるんだね」と驚かれます。「ホームステイする日本人がいたら,一人で冷蔵庫を開けることができるように手伝ってね」とつけ加えておきました。