教育や学校において「思いのまま,のびのびと」や「自由な発想で」,「いきいきと」,「個性を生かして」と聞けば,何だかよさそう!と思うでしょう。

非常に耳触りのよい言葉ですが,実態はどうなのか?

土曜学校の節分(季節の行事)の1年生のクラス。私が勤務する前年までの内容に沿って,その年も同様に学習計画にお面作りが予定されていました。

「白い画用紙に各自鬼の絵を描き,ハサミで切り取ってお面を作る」という内容。楽しそうなイメージです…しかし,ほとんど全員が描けず,中には泣き出さんばかりの子も…。時間ばかりが過ぎていき,楽しいはずのクラスは暗転。それはそうでしょう。犬や猫を描くのとは違うから。大人のクラスで,「さあ,自由な発想で,ヌエ(架空の生き物)を描いて下さい」といっているようなものですから。

何のヒントも参考にするものもなく,「自由な発想で」は「放任」です。

教員免許がとか指導経験がどうのという以前の問題で,大人側の想像力の欠如だと思います。

子どもは絵を喜んでどんどん描くものだという勘違いもある。そう思い込ませて,授業の準備をしない言い訳にしたい。

「個性を尊重しのびのび」ということは,子ども一人ひとりに対応するということですから,かなり準備が必要です。もちろん,大勢のクラスでの一斉指導では,相当な技量と経験を要します。そういうことを考えずに簡単に「のびのびと自由に」という言葉を使う人が多いと思います。描き方を指導しヒントになるものを示すことは,自由な発想を妨げると考えるのでしょうね。自分勝手に描くのは家で自由な時間にやればいいことであって,学校は指導の場所であるということを忘れてしまっている。子どもに自由に描かせた結果うまくいかなかった作品については,子どもの能力の問題だということにすり替える。

土曜学校では,児童一人ひとりに対応しないようにとも言われていましたが,教員不足を補い講師の質をそろえるためだったのでしょう。多クラスそろって授業を向上させるのは難しいのです。

ペーパークラフトを教え始めて,9月末でちょうど丸2年になります。

必ず,「この作品を作る意味はあるのか」考えてサンプルを作ります。「かわいい」・「新製品」という理由だけでは作りません。道具も材料も豊富なアメリカ。かわいい紙を使った新発売のパンチを使った作品は,その時は目新しさでいいかもしれませんがすぐに飽きます…。新しいものがよいものだとは限らないから,慎重に見極めないといけません。

配色や構成,遠近感など知的な学びは次にも生かせますし,大人になってから学ぶことは楽しいことです。自分が絶対に選ばない色をクラスで使ってみることで,新しい発見があったり好みの変化にも気づいたり。

3年目に入る今,サンプル数は250個を超えています(今年の数は100個以上)。以前作った作品を少し改訂しながら,さらによりよい作品を追求していきたいと思っています。