小中高校時代で通った唯一の習い事は,毛筆でした。うちから歩いて2分の公民館で,これまた歩いて2分のところに住んでいた近所のおじさんが講師でした。中学2年末に7段で受験勉強のために辞めましたが,4年間一回も休まなかったのを覚えています。

毛筆教室ではお手本を見ながら,4文字を8時間(2時間×4週)かけて練習していました。ミシガンでアメリカ人に書道を指導する機会が何回かありましたが,学習というより「異文化体験をちらっとする」程度でした。公立中学校では,カーペットに染みができたら大変ということで,何と墨汁ではなく「水彩絵具の黒」を使いました。半紙ではなくコピー紙でしたから,書道とは程遠く「日本人が教える書道は正しくあって欲しいが…」という残念な気もしましたが,筆は絵筆ではなく本物だったのが救いで,皆さん満足していたのでよしとしました。

毛筆は,腕を微妙に上げ下げすることで字の太さを調節しなければならず,もたもたしていれば線はにじみ,線が震えてしまいます。また,ぼく液が多くてもにじみ,逆に少なければかすれてしまう…。とめ・はね・はらい等,とにかくよーく考えて集中してから,さあ!と筆を置かねばなりません。

ペーパークラフトのスタンプの着色には,Copicという日本製のマーカーを使っています。Copicスケッチは,片方がブラシタイプですので,筆圧の強弱によって様々な表情が生まれます。驚くべきことに,以前クラフト教室でCopicクラスを取ったら,先生が「シカゴでライセンスを取得した」と言われていました。…免許がいるペンって……一体…すごいです…。

クラスでは,パンチアウトした花と葉っぱの茎を緑色のCopicでサッと描いてもらうこともありますが,難しいと言う声が。パンチアウトはクラフトですが,ペンで茎の線を描くのはアートの要素なんですよね。

また,数年前アメリカ人の女の子(中学生)に漫画の描き方を教えていましたが,髪の質感がどうしても出せないのです。シュッ,シュッとペン先やマーカーを「払いながら」動かせない。腕の動きが硬いので線も硬く,カチコチ固まった髪の毛になってしまう…。

アート教室の先生が書道を習いに来られたことがあります。水彩画を描く上で,筆の扱い方のバリエーションを学びたいということでした。また,剥製士の方(日本語クラスの生徒さん)からも,剥製にした動物の顔に筆でペイントするために筆使いを知りたいという質問を受けました。

何故「はらう」等が難しいのでしょうか。

まず,筆を使って文字を書く学習をしていないから。学校では,鉛筆ではなくボールペンでノートを取る生徒も多くいます。専用の消しゴムで消せるボールペンという便利なものがあるからです。しかし,ボールペンは筆圧の調整が不要ですので,鉛筆はもちろん,筆による筆圧加減の学習が必要なのです。アメリカの学校でも昔は,handwritingの時間があったそうですが,「読み手を意識してていねいな文字を書く」ことには重きがおかれていません。読めれば十分といってしまえばそれまでですが,実際はそれさえも望めません(話はそれますが,手書き文字は非常に個性的なので,メールアドレスや電話番号などのメモをもらったらその場で確認しなければ後で大変なことになります)。

しかも,アルファベットはわずか26字で活字体の終筆はすべて「止める」ですから,「はねる」や「はらう」のテクニックとは無縁です。筆記体でも,終筆をはらってないから間違いと言われることもないのではと思います。漫画クラスのアメリカ人の女の子の目の前で「はらい」をやって見せて,違いを見比べてごらんと示しても,「?」という顔でした。終筆の違いは意識されていないようなのです。

日本とアメリカの日本人学校では,小学1年生を教える機会が最も多かったのですが,やはりアメリカ在住の日本人は圧倒的に「はらう」を苦手としていました。日常で意識していないというのもありますが,パソコンで文字を打ったりタッチパネルでスクロールすれば文字が出てくるという時代の流れもあるでしょう。日本同様に結構厳しく文字指導をしていたので,中には「そこまでしなくても…」と疑問を持たれた保護者の方もいらっしゃったと思いますが,努力の末,皆よい字が書けるようになりました。

最近は,冠婚葬祭の芳名帳も,縦書きではなく筆ペンも使わなくなってきています。のし袋もプリンターで名前を印刷できます。しかし,生活に必要だとか,漢字テストでバツになるとか,相手に好印象を与えるというレベルではなく,筆使いを技術として身に着けることは様々な場面で生涯役に立つと思います。よい字を追求することで,美的感覚も養われます。「筆使い」は練習して身に着けるものなのです。