在りし日のラムちゃん✨
ほぼ、毎日抱っこで寝室にいくまで
一階にいたので、父と母の寝室に行き
ベッドの上に乗るのが大好きでした✨
まだジャンプができていた頃です。
すでに昨年の夏から酸素室をレンタルで
今は真冬でも、雪がほとんど積もらなくなりましたが、ラムが生きていた2019年の1月は ものすごく寒くしんしんと雪が降っていました。
リビングから続くテラスが大好きで
雪がやんですこしでもお日さまが出ると
寒いのに、テラスに出ては、端っこにいました。
外が本当に大好きだったので調子のいい日大きなガラス窓から景色を見たがりました。
今でも思い出します。
夜ひとりで隣の市の動物病院まで車を走らせ、ラムを乗せていた時、あまりにも動かなくなって、慌てて家族に電話して
『もう、駄目かもしれない、本当に大丈夫かな😭😭』
泣きながら診察して帰ってきました。
亡くなる2ヶ月前は早朝から、眼振と斜めに身体が傾いてしまい、あわてて近くの
動物病院に駆け込みましたが、
そこはかかりつけではない為、手厚くみてもらうことはできず、くやしい思いもしました。
すでに脳にも癌が転移していたからでしょう。
前庭にめまいが起きていて、目が振れていてかわいそうで、
早く収まるようにと祈るばかりでした。
大きな病気にかかると、もう治る見込みはないので日々を精一杯生きるラムの写真を
ひたすら撮り、少しでもラムの姿を覚えていたい、いつまでも残る映像を残しておきたい一心でした。
(現在、その動物病院は自宅に近いこと、
先生がベテランなので安心して通っています。)
ラムの食欲が落ち始め、シリンジでの注射のごはんも食べなくなってきて、動物病院の先生に相談し、輸液が始まりました。
もう体重が、かなり落ちてきており
元5.2キロあった体重が3.6キロに
落ちていました。
ラムの為、なんでもしてあげなくては!!の思いで獣医から、輸液のやり方を別室で
教わり、決まった量を1日数回行います。
自分は看護師ではないので
針も輸液パックも触るのも初めてで
失敗して部品が足りなくなり、
あわてて片道30分かけて取りに行ったりしました。
当時、私は朝掃除の仕事に行っていて
午前9時までは帰って来れなかったので
すが、ある日帰宅したら、シートに
大量の血液が排出されていました😭
便ではなく、壊れた内蔵が出てきてしまったのです。
これも内蔵が駄目になってきていた
シグナルでした。
輸液を毎日、続けた日が11日間続きました。
ラムちゃんはとてもいいコで毎日ひとつも鳴きもせず続けられていましたが、
全く食べない状態になっていたので
わたしの心は不安でいっぱいでした。
もうすべてのの薬も受け付けなくなっていました。
どうしたらいいかわからない。
輸液を止めたらもうラムにしてあげることはない!!
だけど、
せめて
生きていてほしいから
頑張って
続けていたけど、
それも
わたしのエゴだったのか。。。
もうぐったりと横になったラムを
病院に家族とベッドで運び
涙ながらに先生に訴えました。
先生が言いました。
『もう、ラムちゃんの身体が限界にきています。
そろそろ休ませてやってください。』
休ませる??
死ぬってこと?
心のどこかではわかっていたのですが、
その事実を受け止めることは拒否していました。
当たり前ですよね。
長年、慈しみ、愛してきた愛犬の命が
消えようとしているのですから😭
帰宅後、速やかに酸素室の中で横になる
ラムの鼻に薬をぬり、口の中を拭きながら
心の中は嵐のようにざわついてました。