3.11 | フィギュアスケーターの幸せを祈る

フィギュアスケーターの幸せを祈る

「新たな一歩だと思っています。不安は何もなくて、ただ前にある道を進んでいくだけだと思っているので、新たな経験をして、元気に前を見て進んでいきたいと思います。」浅田真央

2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、
東日本大震災が起きた。

皆にとって衝撃的だった、この日・・・。

私たちの年代では、(スミマセン古くて)
特別な日、時刻に、どこで、何していた?について語る、
といえば、
「ジョン・レノンの射殺の報道を聞いた瞬間(日本時間12月9日)」
だった。(え?違う?)

でも、今は、
「3月11日14時46分、何処にいて、何をしていた」
に、なった。
それほど大変な、
国民みんなに共通する、
今までの人生で一番の衝撃を受けた日、
と言っていいと思う。

私は、小学1年生の教室にいた。
14時45分に、帰りの会が始まったばかり・・・。
地震が起きて、皆で机の下にもぐった。
いつものように、すぐに収まる…と思っていたのに、
収まるどころか、大きくなっていき、
ロッカーが倒れ、本が飛び出し、
これは、今までと違う・・・。
子どもたちは泣き出して、
「大丈夫、大丈夫」と言いながら、
このまま動けない、揺れが激しくなっても・・・
どうなるんだろう・・・と思いながら、
どうすることも出来ない状態で、
泣いている子をなだめながら
ただ「大丈夫だよ」と繰り返すしかなかった。
かなり時間が経って、
もう、揺れが収まりかけたか…と、
校庭に、そのまま出ることになり、
机の下から出て移動している時、
もう一度、大きい揺れがきた。
本当にびっくりした。
もう走って、
みんなで、
一目散に校庭に逃げた。

再び揺れが小さくなるのを待って、
子どもたちの荷物を回収し、
全員を親の手に渡してから、
家に帰った。

家は、停電、断水、
近所の人は皆、外に出て来ていて、
これからのこと、これまでのこと、
話していた。
皆不安だった。
ひとりでいたくなかったのだ。
町内会の見回りをして
声をかけてまわり・・・。

家族は出先で、
携帯が繋がらず、
公衆電話から、やっと繋がった。
それでも、すぐに切れる。

電車が動かず、駅で足止めされた家族が、後で言うには、
ニュースに一斉に切り替わった駅の液晶画面に
津波が映しだされ、
皆、驚愕したらしい。

私は知らなかった。
電気がきてなかったので、
震源地も津波も、何の情報もないまま、
服のまま、ダウンとバッグと懐中電灯をそばにおいて、
すぐ逃げられるようにして、
余震の中、
ひとり、
寝たのか寝てないのかわからないような
夜を過ごした。

家族はバラバラ
とにかく、無事ということだけ、わかっていた。
それだけでも、良かったと思う。

しょっちゅう揺れていて、
余震なのか、気のせいなのか、わからなくなった。

遠く離れたここでも、こんなだったのだ。
もう、震源地近くは、どんなに怖かっただろう。
本当に寒くて、真っ暗で、
その上、津波だなんて・・・。


謹んで、
震災で亡くなられた方々のご冥福を、お祈り申し上げます。

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