人は生きていく過程で様々なものを、たくさん得て、たくさん失う。

 

私の失くした傷みは、一般とは理解し合えないものらしい。

 


私は三十路を迎える数週間前に、病で危篤状態になり重度ICUの中で生死の境を彷徨っていました。

正直、今生きているのが奇跡で、脳死なくここまで回復したのも奇跡です。

 

しかし、肉体が死んだ体への大きなストレスと、脳への大きなダメージを負う病と状態から、負荷で私は29年間の記憶を一度失くしました。

 

私という人間さえ、変わってしまったのだそうです。いわゆる、人が変わった様だ、と言われるものですね。

 

今現在は、ある程度思い出していたりしますが、正直言えば、私が体験した事ではなく、かつての自分だったものが経験したことで、その真似事に過ぎない様な感覚です。

 

私の場合は、危篤から回復して2日間ほどは記憶を保持していましたが、自分の記憶や頭がおかしくなっていくのを感じながら、突然喪失しました。

 

言葉さえ喋ることが不可能でしたし、今の私だからこそ解る「失っていく傷み」が今もあります。

 


記憶喪失といっても、ほとんどが証明などできないものです。

記憶喪失患者は、数時間であったり、数日間であったり、記憶を失った人の喪失期間も、日常生活に支障が出るものとそうでないものがあります。

 

一般的な考えでは、記憶喪失=廃人のようなもの?というイメージがあるようですが、そうではないという事を少しでも知ってもらいたいという強い思いがあります。

 



「記憶を失ったのなら、また作ればいいよ」


「過去を探すより今だよ」


「君は君だよ」


「覚えてないんだ?これ分からないんじゃ施設にでも入るしかないね」

 

励ましの言葉が殆どだとは思います。


しかし、自分というものも、近しい人間さえも解らなくなった人にとっては酷な言葉でもあると思います。


私は、幼なじみも家族も、名前は言えても全てが認識出来ません。それは今も変わらず、実家さえ未だ「自分の家」「生まれ故郷」とは感じる事がない。


 

もしも、あなたが今全てを失って、もう一度人生を今から真っ白な状態で始めることが、簡単に出来ると言えるのでしょうか?

踏み出す勇気も忘れているのに、もうあなたはあなたではないのに。

 


難しく言うとこうなるのですが、人生は自分の歩み、他者との繋がり、年の積み重ねだと私は思っています。


一年という月日はあっという間に過ぎ去ってしまうかもしれない。

でも、そこに積み重ねがあるからこそ、経験、維持、成長、衰退などがある。

 

それをある日突然失えば、それは大きな傷みとなる。

 

 

私は失って初回にまた戻ってしまうというタイプの記憶喪失ではないですが、


私は繰り返し、忘れてしまうのではなくとも、全てが消えてしまう感覚に陥ってしまう。

これは、近しい周りに明かせない孤独な傷みです。


何度も何度も襲い来る、あの時の様な私が私でなくなり、大切な人さえも頭の中から消えていくあの感覚を、この一年繰り返してきました。


元々精神科には通院していましたが、私は残念ながら記憶喪失であることを、ただの言い訳、や、現実逃避としか認識して貰えません。


それは、病院だけでなく、この世界、世間からでもあります。


自分が何者であるのか、血縁者が私の経歴など知る筈もない為に、私がどういう人物なのかを社会的に証明する事が出来ない事ばかりです。


それを可能な限り、この一年集めてきました。



それでも、心の幻肢痛は消えない。


何度も何度も記憶を奪われそうになりながらの毎日に、激痛の身体を引きずって、


いたい、苦しい、悲しい、辛い


そんな当たり前の表現さえ言わず、出さず、ただ笑うだけです。


昨日もまた味わって、助けてくれ、と呟いた。



訪問看護で担当者さんにさえ、記憶喪失によるあらゆる事象を、言い訳、と捉えられています。


哀れみなど求めてはいない。


問題と向き合って貰いたいだけ。


汚く言えば、自分の記憶という人生を失って同じ台詞が言えるなら、見上げたものだな、と思う。



家を家だと認識出来ないから、安心して眠る事が出来ない。

眠るのを拒絶しているだけだと。


正直言って、自分の家ってなんだろう、が私の感覚です。

地元ですら、知らない土地なのですから。


それでも懸命に、向き合って、生きてる。

真面目に向き合ってくれる誰かが1人でも居てくれたら、良かったのかもしれない。



今も胸に刺さる言葉


自分が覚えてるからそれがキミ



失くしたものを探し続けてしまう、空白を埋めなければまともでは居られなくなるから。

それが記憶を失うということ。本能的にそうなってしまう。


投げやりに理解出来ないからなのか、失くした傷みを抱え込む人間にとっては、胸を突き刺す言葉だ。


あらゆる暴言も、たくさんの人から言われてきたけれど、この幻肢痛も、記憶を失くしたばかりに孤立していく苦しみの一つでも、味わってみりゃわかる、なんてことさえ思う。



また幻肢痛と共に今日も。

誰も私を知らない世界、が一番しっくりくるかもしれない。


社会的に自分の証明が出来ないという事の困難は、自身がかつて得た職歴、病歴、使っていたサービス、そんな日常的に当たり前の事を自分も他人も判らないということと言えば、この日本においては絶望しかありません。

想像に難くないでしょう。


何もかもが知らない世界で、一年必死にかき集めて、辛かった。

私の場合、忘れていた方が楽だっただろうという生い立ちでもあっただろうし、今現在の自分はどう感情論で言おうと、最早記憶を失う前の私ではない。


忘れる方も、忘れられる方も、辛い。


やはり解ってしまう。

どんなに今の自分を肯定する言葉をくれても、その言葉と心の先にかつての自分を思っているその人の傷みが。


だから笑う他ない。


一度全てが覆ってしまったなら、それは覆す事は出来ても仮初でしかない。

この先も、この苦しみが消える事はないだろうし、理解という世界には辿り着くこともない。


行き先が違ってしまったのなら、それは私がかつての私ではないという事。


人生経験を経て、変化していく差異じゃない。


私という人間は別人である、それはもう、何度も言われ自分が感じてきた紛う事のない事実。


それでも、今生きているのが全てで、この傷みの一つでも理解して貰いたいという思いがある。

苦しみによって生まれる症状を緩和する為に。

解決なんか出来やしないから望んですらいない、それを成すのは自分だから。


記憶をなくしてからは、特に記憶力が強くなった。空になったものを埋める本能でもあるだろうが、忘れる事を多分恐れているのだとも思う。


記憶力がいいのは悪い事ではないが、ある程度忘れなければならないのも脳の役割で、忘れられない記憶の膨大さに時々波に呑まれそうになる。


記憶の濁流に疲れたら、少し気晴らしでもして休みたい、


というか、休める様になる、が、今の私の課題だろうと思う。


身体が元気だったら、元気になったら、かな、写真とかやりたいとは今やりたい事の一つかな。


故郷が解らないなら、そこの美しい景色を撮ってみたり、とか。故郷はわからなくても、美しいその景色の写真には愛着は湧くでしょうから。


この一年本当に心と頭を休ませる事が出来なかったから、そろそろ休憩してもいいかなと思う。