ちなみに昨日のQVCは結局キャンセルしました。それどころじゃないですものね。

さて、昨日の続き・・・

夜3時ごろ息子がトイレに行きたいと言い出し、一度起きました。

それから寝たのか寝ていないのかウトウトしているときにあの地震が。

何がなにやらさっぱり理解できない。

突然の揺れで私は「恐い、恐い」と叫んでいたのを覚えています。

とにかく隣に寝ている子供を守らないと思いながらも揺れが酷くてそれも思うようにならない。

上の子はベッドとベッドの間に足を挟まれているようだが助けようがない。

一度揺れが治まり主人が外を見たら何かが光って「また来るぞ!」と、その途端に横揺れが。

もうパニック状態。とりあえず家の中は危ない。

もし同じような地震が来れば必ず崩れてしまう。とにかく外へ出ないとと思い、その辺りにあった上着を子供たちにも着せ近くの運動場に逃げました。

まだ陽が上っていないのになんとなく明るい。その日は満月くらいの丸い月でした。

その月明かりに照らされた地面を見るとあらゆるところに地割れが。

地震の凄さをあらためて思い知らされました。

辺りはとてもガス臭く、いつどこで爆発するかわからない。

これからどのようになるのかまったくわからない。

その日が生まれて初めて「死ぬかもしれない」と思った時でした。

みんなが寒空の下で震えながら怯えてました。

うーん、書きたいこと、知らない人に教えたいことはたくさんありますが、こんなところに書いてもどれだけの人が読んでくれるかわからない。

でもはっきり言いたいのは、あの時TVでは「もし東京で地震があったら」のような番組をしていて思いっきり腹立たしく思いました。

私たちが知りたいのはそんな「もしも」の事ではなく、今現在どこへ行けばいいのか、どこへ行けば食料、飲料があるのか、とそういう生きていくための情報なのです

マスコミがよく来ている避難所では食料などがたくさん集まりすぎて腐ってきているものもあったとか。小規模で避難している人私たちなど自宅でいる者にとってはなんの情報もなく、なーんにも食料が無く、本当にどうすれば良いのかわからなかった。

近くの学校のプールに行っても柵がしてあって入れない。

スーパーやコンビニへ何時間も並んで入っても、すぐに食べることのできるものがない。

あまりにも偏りすぎていて、腹立たしい限りでした。

これは各マスコミで改善されているようですが、それは痛切に感じたことでした。

それから何日か後に実家のある大阪へ私と子供たちを連れて船で帰ったのですが

電車ですと1時間もあれば行ける距離なのに船から下りた私はある意味凄いショックを受けたのでした。

それは街に色があるということ。

神戸の街は灰色で色が無かったのです。そして人々の笑顔も。

それがわずかの距離の大阪では普通に生活しているではないですか!

近くなのにこんなに遠いなんて思ってもいませんでした。

14年もたつのに、絶対に忘れることのできない出来事。

そして毎年息子にはウザがられますが伝えていきたい出来事です。