おはようございます。
月曜日!
昨日は法事のため、日帰りで新潟に行って参りました。
新潟はですね、もう雪がありましたよ。
12月ですもんね。
去年よりは少し早いみたいですが、でも、もう完全な冬の寒さでした。
姪っ子を連れて行ったので、日帰りプランになったのですが。
まあ辛い。
体調も万全ではなかったので、とても疲れましたね。
しかしながら、滅多に行かない新潟に行ったことと、
仲良しの親戚に会えたこと。
非日常を体験できて、とても気持ちが癒されました。
次回は絶対に泊まりで行きたい。
今回は禁酒もしていたので、泊まりでなくてもよかったんです。
逆に飲めないと辛いので。
新潟は美味しいお酒がめちゃくちゃありますので。
次回は7月の七夕祭かな。
体調万全で臨みたいです。
新潟は母方の実家なので。
母の兄家族とおばあちゃんが住んでおります。
従姉妹たちは、同じ年と年下の子なので、
年が近いことと、二人とも東京にいることもあり、
本当に姉妹のように仲がいいです。
小さいころから一緒に育ったので、
私も家族を持ったら、そういう風に従姉妹同士仲良く育てたいな、なんて思いましたね。
初めてじゃないですかね。この感情。
姪っ子ができるとやっぱり変わりますね。人間。
おばあちゃんは我々兄妹が小さい頃から、
横浜に何度も来てくれて、
母の子育てを手伝ってくれていたので、
内孫ではないのですが、内孫に近いぐらいの愛を注いでくれた存在です。
おじさんおばさんは、程よく距離のある親族の大人ってな感じで。
昔から仲は良かったのですが。
今のほうが断然仲がいい。
なんですかね。
仕事をするようになってから、
大人としての会話をとてもするようになって。
なんとなく、両親とは話せない、話さないような内容をふとできる存在です。
今回も帰り際におじさんが、「今度は一人でおいで。新潟デートしようぜ」
なんていっておりました。
昔では考えられませんね。
私は若干awayの人間だったので。
内孫でもないし、初孫兼唯一の男孫である兄とも違う、
4人の中では一番遠くにいる存在だったので。
新潟の家の中では。
小さいながらに謎の疎外感というか、
距離感を感じていたわけです。
しかし考えすぎだったようで。
まあ考えすぎですよね。
大人にとっては、みんな同じ。
かわいい子達なわけです。
なので、おじさん、おばさんとの会話にも癒されました。
また行くぜ!新潟!
さて、今日の映画は『黄金のアデーレ 名画の帰還』です。
この映画は、1年半ぐらいですかね、前に映画館で観たのですが。
想像していた何千倍もよい映画で。
最近また観返した映画です。
ストーリーは、
ナチスのユダヤ迫害のため、ウィーンからアメリカに亡命したマリア。
82歳の晩年期を迎えたとき、
当時ウィーンの家に飾られていた、
自身の伯母の肖像画である作品『黄金のアデーレ』がオーストリアの美術館にあることを知るんです。
当時、ナチスはヒットラーの命令で、
あらゆる美術品を奪っていたんですね。ユダヤ人から。
この『黄金のアデーレ』も、ナチスによって奪われた作品だったのです。
そこで、マリアは新米弁護士のランディに依頼をし、
オーストリア政府に対して絵画返却の訴訟を起こす。
ナチス時代と、
現在もまだ進行中のナチスのその後の問題。
これが描かれている作品です。
ちなみにこの作品は実話です。
私はこの作品をきっかけに、
ヒットラーが実は美大を目指していたことや、
そういった理由もあり、美術品を大量に略奪したこと、
そして最後戦線が危うくなった時に、
それらを取り戻されることを恐れ、焼却などしたことを知るのですが。
戦争の記憶を刻む上で、こういった作品は必要だと思います。
マリアのウィーンにいた頃のシーンを観ていると、
サウンドオブミュージックを思い出しましたね。
私は人生において、最も好きな映画なんですけど。
この映画も実話ですし、知らない人はいないかと思いますけど。
この映画もまた、ユダヤ人迫害をテーマにした映画です。
素晴らしい音楽に囲まれたトラップ一家が、
ナチスによって、スイスに逃げる話です。
最後に一家で歌うエーデルワイスがとても好きです。
Bless my homeland forever.
我が国に幸あれ。
祖国を追われ、自身の家族を殺され、
親族の肖像画まで奪われ、その返還を許されない。
間違ってますね。
その間違いを正すべく動いたマリアと、戦い抜いたランディはすごい。
ランディとか、結構今の自分と年近い、
もしくは年下かもしれませんが、
本当に尊敬します。
私も誰かの為に、何かの為に、もっと頑張らないといけませんね。
今回は祖父の法事だったわけですが。
祖父のプロフィールのおさらい的なお話もあり。
まあ葬儀の時にも話があったので知ってはいましたが。
祖父は戦争で南の島へ行ったわけです。
3分の2の兵士が亡くなった中、祖父は帰国したとのこと。
その後、マラリアで死にかけた話も聞きました。
思えば、小学生のころ。
戦後50年ということで、自分の身内から戦争体験を聞くという授業がありました。
その時は山梨に住んでいたので、山梨の祖父の戦争の話を聞きました。
今思えば、当時のほうが、よほど戦争というものを意識することができたように思います。
山梨の祖父が亡くなるときも、
モルヒネで朦朧とする中、戦争の時の話を突然しだしたと聞きました。
自分のおじいちゃんが、恐ろしい戦争に行っていたなんて、
ほんと、いまだに実感がわきません。
それぐらい我々にとって、戦争は遠い存在になったのです。
有り難いことですが。
でも、忘れてはいけないこともあるはずです。
今回はいい旅をしました。
おじさんとデートするかは別として。
また次回の新潟行きが楽しみです!
今日も最後までお付き合い頂き、ありがとうございました!
また次回お会いしましょう!
Danke!