あの時私は確か18才。
人からみたらチャラチャラした短大生。
だけど選択した短大が二年間で栄養士免許証をくださる有難い学校だったせいか授業は以外とハード。
午前中は一般教養で午後は栄養士免許の必修で白衣を着て実験だの実習だの
なにかと時間がかかる。
地元の吉祥寺でアルバイトをしていたものの学校とアルバイトの間の一時間。
考えて、、、
「Macでレポート書くか!」
ざわついているところこそレポートって進むものだ。
井の頭線の改札から吉祥寺の北口の広くて干渉されないMacまで歩こ。
吉祥寺の駅にはその昔ロンロンという駅ビルがあって二階にある井の頭線の改札から北口までロンロンの中には階段を使わなくてよい下りエレベーターがあった。
地元の人間はおおよそが使う通り道。
エレベーターを降りたところに少し広い広場があって週替わりで売るものが変わる催事場になっていたのだ。
いつもはサッと通り抜ける催事場だが
あれ!
「おとうさん!」
高校のときにお付き合いしていた彼氏のおとうさんが催事に出店されていた。
元彼氏の家は食品の工場を経営していた。
お家の作りも
一階が工場。
二階がお家。
みたいな。
とても暖かい家族で
(私達が集団でお邪魔しても嫌な顔ひとつせずしまいには夕飯をご馳走してくれるような!)
私達はいつも溜まり場の様にしてしまっていたし彼も誰からも好かれる様な私とは違ってやさしいオーラを持っている人だった。
ここで過去形なのは私達はくだらないことから高校を卒業してからはバラバラの道を歩いていた。
たまの仲間うちの集まりがあると顔を合わせる程度になっていた。
「おとうさん!お久しぶりです!」
おとうさんも高校時代のスッピンの私が女子大生になって少しお化粧をした顔に一瞬戸惑いながらも
「あらー!久しぶり!最近は遊びにこないんだね。元気にしてたの。」
と笑顔で答えてくださった。
少し立ち話をしていると一緒に出店されている隣の方が
「おっ!市川さん!こんな綺麗な若い子と知り合いだなんてやるね~!」
なんて世間一般的なご挨拶をしてきた。
「なになにー。息子のお友達なんだょ。またゴハンでもたべにおいで」
といつもの優しい笑顔で言ってくださった。
私はおとうさんが大好きだったのでこの偶然がとてもうれしくてウキウキした気持ちでその場を去った。
それから二週間程あとだったと思う。
その日は確か休日でアルバイト先の友達と横浜までドライブ。
帰りが10時過ぎていた。
ちょっと門限が過ぎていて恐る恐る家の扉をあけた。
すると帰るなり母が居間から飛び出してきて私は何があったか度肝を抜いた。
なぜなら母の目から涙がこぼれていたからだ。
「お母様!どうしたの?何かあったの」
「ひとみちゃん。あのね。実は夕方にえっちゃんから電話があったの」
えっちゃんは私の高校時代の親友だ。
卒業してからも仲良しで週に2日は一緒に遊んでいた。
「いちかわさんのお家で不幸があったみたいなの。今日お通夜ですって。
えっちゃん達は先に行ってるって言っていたわ。可哀想に。市川くん」
と言ってまた泣いた。
彼はもちろん私の家にも何度も遊びに来ていたので母も他の友達以上の感情を持っていたのだ。
私が顔面骨折して入院や手術をした時に何度もお見舞いに来てくれていたのが彼だったからかもしれない。
私は胸が張り裂けそうになった。
胸の奥で
「おかあさんだ!」
と何度も叫んでいた。
なぜならもう一年前からおかあさんは入退院を繰り返していた。
だから最近の彼は仲間の集まりの時も直ぐに帰ってしまうし私は行けなくなった溜まり場の彼の部屋も禁煙になったと男子がため息まじりに話していた。
私は私で何度かおかあさんの入院している病院にお見舞いの足を運んでいた。
彼とは別におかあさんのお見舞いをしていたのだ。
最近。
忙しくなったとかなんとか言ってしばらくお見舞いにいっていなかった。
ごめんなさい。
おかあさん。
今日横浜にいった事を何度も何度も悔やんだ。
前にお見舞いにいった時は
「食べられないから少し痩せたの。ちょうどよかったょ」
なんて笑っていたのに。
そんな。
亡くなる程悪くなってしまっていたんだ。
その辺にあった黒い服をひっさらって着替え、泣きながらタクシーを拾った。
歩いたら30分かかる。
タクシーならすぐだ。
黒い服を着て泣いた私を気遣ってタクシーさんは少し早めに車を走らせてくれていた。
程なくして彼の家に着くといつものそことは変わり果てたところになっていた。
笑顔と湯気が溢れる工場は白黒の天幕が張られ沢山の椅子が立ち並びトラックの駐車場には沢山の花輪が飾られていた。
涙ながらにタクシーさんにお金をはらい天幕が張られ大きく立派に飾られている祭壇をみて目を疑った。
そこで笑っている遺影の顔はおとうさんだったのだ。
わたしは愕然とした。
準備が出来ていなかった。
あまりのショックに涙がこぼれて止まらなかった。
おとうさん。
ちょっと前にゴハンたべに来てって笑顔でいってくださったのに。
彼が私に気づき
泣いている私の方に歩み寄ると
「もうあまり泣かないで。親父すげー頑張ったんだょ。」
と私に言った。
その時の表情は涙でみれなかったけれど声はいつにもまして優しかった。
おとうさんは脳出血だった。
工場で働いている時に倒れたとそのあとの親戚の方の話できいた。
手術のかいなく逝ってしまわれたそうだ。
おかあさんの病気を気にされていたようで心残りだろうと話してた。
おかあさんは私のせいだ私のせいだと何度も言いながら泣いていて私はかける言葉が見つかなかった。
あの暖かかった家庭にこんなにも深い悲しみがこんなにも早く押し寄せるなんて誰も想像にしていなかった。
私は涙を拭きそのかわりに腕まくりをした。
お料理を運びビールを運び。
その日も次の日も出来る事をしようと思った。
今日からニイニが学校のキャンプにいっている。
二泊三日。
楽しんでいるかしら?
いつもと違って静かな夜。
ニイニの笑顔が目に浮かんだ。
おとうさん。
ニイニのはにかむ様な笑顔はおとうさんにそっくりです。
遠いハワイのラナイから
あの日の記憶の中のやさしい笑顔に語りかけた。
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