眠れない夜☆
きっと今日は自分にご褒美とか言い訳をつけて一日中ゴロゴロしていたからに違いない。
ダメだなぁ。
明日は早起きなのに。
明日はチャーちゃんの運動会めいた行事があって朝7時前にはハワイカイに向けて出発しなくてはならないのに。
まぁ
三連休中日に学校もよくやってくれたもんだ。
まわりは全て明かりが消えて相方さんの少し大きな寝息と外の道路を通る車の音。
耳をすますと
時計のカチカチという音が
『もうねなょ。もうねなょ』
と聞こえてきて更に気持ちをあせらせる。
こんな眠れない夜。
実は
てーぃ!
と起きてなにかしてしまわなければならない事をする、
か
もしくは少し暗がりでくだらないコミックを読むのが一番。
でも
わたしはブログを書く(iPhoneをいじる)という行動にでてしまった。
これも暗闇の中で行うとかなり効果があるはずである!
一人暗闇でもの思うと結構よくない考えに陥る事がよくある。
きっと暗いという事が自分の心の中に
心配や不安というイメージとリンクして頭の中のモードが切り替わってしまうから。
楽しいパーティーや太陽さんさんのビーチで暗い事考えるってあまりないですもの。
目をつぶって。
嫌なものを追い出しにかかる。
すると必ず浮かぶ顔。
去年亡くなった祖母の顔である。
下町のチャキチャキ江戸っ子で笑っている時と啖呵きっていることが半分半分だった。
近所の人からはケンカ屋と呼ばれる事もあったらしいが曲がった事が大嫌いだったから。
しかたない。
威勢のいい男勝りな人だったけれど子どもが大好きで小さな頃は週末にとしの近いいとこみんなで泊りにいっていた。
いとこが9人。
祖父は早くに癌で他界していたので
1対9の大合宿。
今思うとすごいことである。
私は祖母のいう大きい子グループの女の年長者だった。
普段一人で食事をとる祖母の食卓は大きい訳もなくもちろん子ども達全員で一斉にという訳にはいかなかった。
祖母は必ず
『小さな子から食べな!大きい子は我慢してあとだょ』
いった。
はい。
大きい子どもの年長者。
待ちます。
待ちます。
でもこの事は当たり前なのだろうけれど少し納得がいかなかったのは女の長である私はみんなより一時間程前に起きて掃除と朝食作りを手伝うのが当たり前とされていたからだ。
寝ぼけまなこの小さい子たちが美味しそうに食べる朝食の世話をみてやらなければならなかった。
当然。
私のお腹はペコペコだった。
一人抜け
二人抜け
私の座るスペースが出来てやっと食事にありつける。
当然私は座るのも最後だし食べ終わるのも最後となる。
最後は祖母と二人。
祖母は下町の商店街ではチョット名のしれた味噌醤油を扱う商店を営んでいた。
沢山の味噌ダルと醤油桶。
朝のひと時実は数十種類の味噌のなかから天気や季節によってだと思うが
今日はこのお味噌とこのお味噌を合わすと美味しいょ、
なんて独り言をいいながら味噌を選びそれが朝の食卓に並んでいる事は私だけが知っていた。
その味がまた絶品で私は大好きだった。
当然小さい子達だって食べ盛りだったしお代わりの嵐の渦の中にその味噌汁もあった。
でも
必ず
最後に食べている私に
祖母はこう言った
『ひとみちゃんはおつけ(味噌汁)が大好きだからね~。お代わりしなさい』
最後なのに。
ホントに最後なのに。
必ず最後までお味噌汁はお鍋の中に残しておいてくれていた。
もしかしたらお代わりしないかもなんだょ。
おばぁちゃん。
厳しいと思ったこともたくさんあったけれど
亡くなる前の祖母は痩せてしまったけれど
今も目をつぶると思い出すのはその時の笑顔だ。
祖母には色々な話を聞いた。
戦時中汽車でリンゴを買いつけて闇市で売ったら祖母のリンゴが1番売れた事。
病気で亡くなった弟はとても優しくて今でも会いたい事。
おじいちゃんは冗談ばかりいう人だった事。
色々な旅行にいった旅先での事。
その中のひとつにこんな話があった。
『ひとみちゃん。アメリカにはすごい場所があるょ。グランドキャニオンっていってね。あまりのすごさにビックリした。小さな遊覧飛行機に乗ってね。景色をみたんだょ。』
こわくなかったの?
と聞いた私に
『怖くなんかあるもんかい。あれだけの景色を眺めさせてもらうんだ。命のひとつやふたつ神様に捧げたって見る価値のあるものだったょ』
あれから私の行きたいところNo.1はグランドキャニオンだ。
ただまだ命を捧げる準備の整っていない私は今だ憧れの場所に行けていない。
壮大なグランドキャニオンの景色と祖母の笑顔。
順番に思い描いて
幸せな気持ちの中目閉じることにする。