10月末・・・気候も良い時期になりましたので
やっと、やーっと、京都へ新選組ゆかりの地巡りを
してきました~\(^_^)/
神戸からJRで1時間・・・・
気軽に行ける距離ではあるんですけど・・・
毎年1~2回行けば良い方なんですよね。
京都大好きなのにーヾ( ´ー`)
先ず、この日のスケジュール
8時半に京都着Σ(~∀~||;)←自分で決めておきながら・・・
↓
西本願寺へ
↓
島原へ
↓
壬生寺界隈へ
↓
蛤御門へ
↓
池田屋はなの舞でランチ
↓
霊山資料館(幕末歴史ミュージアム)
というもの。
どうして8時半着・・・なんていうアホみたいに早い時間に
したのかといいますと・・・ランチは予約制でして
ランチ時間が12時半~2時までなんですよね。(平日)
で、1時からお願いしてました。
中途半端な時間に河原町まで戻らねばならないという
ことで、、、西本願寺~壬生寺まで見て、蛤御門まで
みようと思ったらどれくらいの時間がかかるかわからないし・・・
霊山資料館から先に行って、ランチしてから壬生寺の方の
コースの方がいいのか・・・わからなかったので、
やはりどーしても外せない壬生寺界隈は早いうちに見て
おこうということになり・・・河原町に移動する時間なども
考えると4時間くらいあれば何とかなるだろうかと・・・
まず、京都駅から市バス(9番)に乗って、西本願寺へ
JRで京都来る時は大体ここの前をバスで通る事が
多いんですけど今まで行ったことはなかったんですよねー。
京都行ったら、たいてい「食」に走ってましたから
ホント、こういうのスルースルーーでした(><;)
バス停のまん前です。
回る順番は逆ですが壬生寺から西本願寺へ
屯所を移した場所ですよねー。境内広い~~。
薄桜鬼では、新八っつぁんが筋肉美を知らしめていた
アノ健康診断のシーンとかもここなんですよね(笑)
ここにー150年ほど前に新選組がいたんだーと
思うと感慨深い。
朝もまだ早いし人もまばらだし空気も澄んでいてなんだか
気持ちもシャキッとして、さぁ~今日一日がんばるぞ~!
って感じでした。
でも、実際隊士の皆さんが暮らしていたのは、
西本願寺の北東にあった太鼓楼と北集会所の方ですね↓(太鼓楼)
(西本願寺に残る新選組所縁の建物は太鼓楼のみデス。)
この写真の立て札に太鼓楼の説明が書かれてるんですが
ここには新選組のことは一切かかれておらず、この左手に
あった立て看板の方に、「太鼓楼 新選組ゆかりの地」として
説明書きされたものがありますよー。
新選組はここに2年住んだあと不動堂村へ屯所を移します。
不動堂村にもほんの数ヶ月暮らしただけなんですよね。
何年か前に(龍馬ブームの時)寺田屋を見に行った時も
そう思いましたけど、話の中だけでなく当時の場所を
リアルで見ると不思議な気分になりますね。
その後、テクテク歩いて島原へ・・・
大門の手前に島原跡の碑と枝垂れ柳
(分かりにくい写真ですが・・・^^;
このまん前に車が駐車されてて写真が
超撮り難くて・・大門と一緒に撮れなかった)
そして奥に島原大門が・・・
(案外こじんまり・・・)
ここからは、ちょっと「艶」目線も入りながら
大門をくぐり中へ~(^^ゞ
こちらは内側からみた大門。
きっとここで、色んなドラマがあったことでしょうねー。
少し行くと「誠の湯」の看板が!
思わず(笑)
もちろん島原跡地は今は普通の住宅地デス。
でも、どことなく風情が残ってる通りも。
コチラが角屋
艶に出てくる揚屋とか想像したり、
ここに新選組が通っていたのか~と
色々想像したかったけど向かいの家(?)の
おじさんが水撒きしてて妄想に集中できず・・・f^_^;はは・・・
写真もそそくさとコレしか撮れなかった
あと、島田さんの住居跡もこの辺りにあるみたい
だったので、せっかくだし時間あればどの辺に
あったのか見たかったのですが時間的に諦めましたf^_^;
函館から戻ってから妻の実家があった京都で暮らし
最終的には西本願寺の夜警をしていたそうですよ!!
島田さんと斎藤さんは長生きされてますもんね。
西本願寺に屯所を移してから、島原に通う場合は
大門を通って来てたんでしょうが、壬生寺に屯所が
あった時って、場所的に西門から来てたんでしょうかね?
西門はもう残ってないですが、記念に跡碑を
西門を出てから、壬生寺までまたテクテク歩きマース。
隊士達もここらへん通って島原に来たのかしら~?
とか思いながら・・・
当時はあたり一面壬生畑だったようですけど(笑)
にしても、、、壬生寺~島原~西本願寺
こんな近くに花街があるなんて・・・ね・・・( ̄▽+ ̄*)
そうそう島原で遊ぶことは出来なかったんでしょうけどねー。
つづく~