今朝、

トイレ掃除をしていた時のこと。

 

え”~~~~~!!

こんなに汚れてたっけ???

と、我ながらびっくりしたのです。

 

で、ふと気付きました。

老眼鏡かけたままだった。

 

出展元 https://store.kadokawa.co.jp/shop/g/g321704000353/

 

老眼鏡なしで掃除してる時は

ご機嫌さんで、軽くふき掃除。

メガネかけてビックリ

ブラシと重曹でゴシゴシ。

 

掃除する時は、やっぱり必要ね、と

思ったのですが

ある人の事を思い出しました。

 

15年くらい前かな。

私が実家の眼鏡屋の店頭にいたころ

白内障の手術を終えた常連さんが

新しい眼鏡を買いにいらしたのね。

 

その時におっしゃったのが

【世界ってこんなに白かったのね

 きれいな場所に住んでるのね、わたし】

 

白内障は目の水晶体が濁ってくるので

全てのものに靄がかかり

黄色っぽく見えるのが特徴的。

 

なので、手術でその濁りを取ったら

真っ白に見えるようになったという話。

 

そう考えると

私たちってみんな

見てる世界が違うのね。

 

メガネをかけていても、いなくても

それは、自分が見てる世界。

白内障であろうと

美しい水晶体を持っていようと

見えてるものが、現実世界のすべて。

 

 

もちろん、視力によって

無いと困ることはあるけれど

それでさえ、

みんな同じに見えてるわけではない。

 

自分が感じたように視る、見る、観る。

 

感じたままを受け取る。

 

そこに、意味や定義を呼びこまないで

ただ在るがままを感じる。

 

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一緒に旅した3人も

美しい自然に感動して感激して

そして、口々にやばい!を連発したけど

それぞれの感じ方で

心の中に仕舞いこむ。

 

 

心の何かに呼応したものが

今在る、という事を

それぞれが

胸に抱いたであろう時間。

 

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私は、鳥の声にも

山の木々や風にも

心が震えたけれど

川の【音】がたまらなかった。

 

そしたら、司馬遼太郎さんが

こんな表現をされていたのが

あまりにぴったりで。

 

日本には瀬が多く、

瀬の音についてわざわざ

”せせらぎ”という独立した

いい言葉があるほどだが、

私はこの川舟に乗るまで、

”せせらぎ”という音響がどういうものか知らなかった。

 

むろん私も半世紀この地上で

厄介になっているからには、

川や瀬や”せせらぎ”ともいうべき音はきいた。

 

しかしそれは岸で聴いたせいなのか、いや、

理由をあれこれ考えるのは無駄かもしれない。

この川がよほど特殊だと考えたほうがよさそうである。

 

清流が、薄く速く激しく

その無数の丸石の上を奔りに奔るときに、

ちょうど何百という

箏や琴を乱れ弾きに

弾いているような音をたてるのである。
          

司馬遼太郎著『街道をゆく八  熊野・古座街道 瀬の音』より